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第21回日本ダービー馬「ゴールデンウエーブ」

ダービー馬列伝
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日本ダービーまで

1954年の第21回日本ダービーを勝ったのは、12番人気という人気薄のゴールデンウエーブだった。ゴールデンウエーブは当初ネンタカラという名前で地方競馬の大井競馬場に所属しており、そこで全日本三才優駿を勝つなど11戦6勝の成績を残し、中央競馬(当時は国営競馬)に移籍する。

といっても、地方ではもう敵はいない、ならば中央に移籍して大レースに挑戦してみようというものではなく、当初から一旦地方で走らせておいて成績がよければ中央へという、いわば決定していた路線であり陣営としては予定通り順調だったということだろう。

中央へ移籍してからは、初めての芝のレースであったが全く問題なく3戦して3勝と期待に違わぬレースを見せ、最初のクラシック皐月賞に挑む。1番人気は通算17戦14勝、朝日盃三歳Sを含む11連勝中のタカオー。2番人気は10戦10勝のダイナナホウシユウ、ゴールデンウエーブはこの抜けた人気2頭に次ぐ3番人気だった。

不良馬場となった皐月賞は、ダイナナホウシユウが勝ちタカオーは重馬場に苦しみ4着に敗れ、ゴールデンウエーブは良いところなく7着に敗れる。タカオーは、クリフジらの持つ連勝記録である11連勝を超えることはできなかった。一方のダイナナホウシユウはこれで11連勝と記録に並んだ。

この3頭はダービートライアルのNHK杯でも相まみえることとなり、1着タカオー(3番人気)、3着ダイナナホウシユウ(1番人気)、7着ゴールデンウエーブ(4番人気)という結果だった。迎えた本番日本ダービーでは、ダイナナホウシユウが49.5パーセントという支持を受け1番人気、離れた2番人気がタカオー、ゴールデンウエーブは12番人気と人気を落とした。

日本ダービーでの3頭

当時スタートはまだゲートではなく遮蔽テープの後ろに全馬が整列し、テープが跳ねあがると同時にスタートするというバリヤー式だった。そして、1番人気のダイナナホウシユウは、ちょうどテープが上がった瞬間に周りの馬に挟まれる形となり大きく出遅れてしまう。

荒れた馬場の内側を避け多くの馬が外を周るなか、ダイナナホウシユウは内を突いて少しずつ前に取り付き、最終コーナーではついに先頭に躍り出る。逃げ粘るダイナナホウシユウだが直線半ばで失速し、タカオーが外から追い抜いた直後、大外からゴールデンウエーブがまとめて差し切り3馬身差をつけて優勝する。

日本ダービーは、ゴールデンウエーブが1着、タカオーが2着、ダイナナホウシユウは粘ったものの4着に敗れた。この3頭は菊花賞にも揃って出走し、ダイナナホウシユウ1着(2番人気)、タカオー4着(4番人気)、ゴールデンウエーブ7着(3番人気)という成績だった。(なお、1番人気はミネマサ)

3強と言えばここから20年後となる1970年代後半のTTG(トウショウボーイ、テンポイント、グリーングラス)が有名であるが、この3頭(DTG=ダイナナホウシユウ、タカオー、ゴールデンウエーブ)もあまり言われることはないが、初期の3強と言っていいのではないか。

皐月賞、菊花賞を勝った2冠馬ダイナナホウシユウ、64戦31勝(中央競馬46戦27勝、地方競馬18戦4勝)と走りまくり「走る精密器械」と言われたタカオー、そして地方出身初の日本ダービー馬となったゴールデンウエーブ、三者三様でみな強かった。ダイナナホウシユウとタカオーは後に天皇賞も勝っており、ともに中央競馬における最多連勝タイ記録(11連勝)も保持してい

ゴールデンウエーブの持つ記録

3強というには、その成績をみるにダイナナホウシユウとタカオーが抜けており、ゴールデンウエーブが一枚落ちる感があるが、実はゴールデンウエーブは多くの記録を持つ馬であり、競馬の頂点である日本ダービーを勝ったというだけでなく、記録面でもこの2頭と十分に張り合うことができる。

まずは、父ミナミホマレ(第11回)との日本ダービー親子制覇。これはカブトヤマ(第2回)とマツミドリ(第14回)に次ぐ2組目の記録である。次に日本ダービー史上初の地方競馬出身馬の優勝、こちらはその後1958年(第25回)のダイゴホマレが優勝しただけである。

少しトリッキーな記録だが、9文字の名前がつく初の日本ダービー馬であった。それまではセントライト、ミナミホマレ、トキノミノル、ボストニアンの6文字が最長だったから、一気に3文字も更新している。なお、トキノミノル(旧名パーフェクト)以来となる、改名した日本ダービー馬(ネンタカラ→ゴールデンウエーブ)でもある。

テン乗りによる初の日本ダービー制覇でもあるが、こちらは第90回(2023年)にタスティエーラ(鞍上はダミアン・レーン)が勝利するまでの69年間達成されていなかった。また、残念ダービーと言われるラジオNIKKEI賞(当時は中山4歳S)に勝った唯一のダービー馬でもある。

ダービー後に日本中央競馬会が設立されているため、国営競馬時代の最期のダービー馬であり、また当初地方競馬にいた際に中央競馬に先んじて導入されていたゲート式スタートを経験しており、スターティングゲートの経験を持つ初の日本ダービー馬でもあった。(日本ダービーはバリヤー式だった)

勝てなくなった晩年には地方競馬(南関東)に戻り、3戦して勝てなかった。これもダービー馬としては考えられない経歴である。記録づくめの異色のダービー馬だった。

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Diomed(ダイオメド)といいます。1969年生まれのおっさんです。
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