その名はタチカゼ
第16回の日本ダービーを制したタチカゼは、父プリメロ、母第参パプースという血統で名門小岩井農場で生産された。父のプリメロはリーディンクサイヤ―にはなれなかった(最高は2位。その時の1位はセフト。)ものの、大レースでの強さは格別で、クラシック通算15勝はサンデーサイレンスに破られるまで半世紀以上に亘って保持された偉大な記録である。
タチカゼが日本ダービーを制するまでにも1942年第11回日本ダービーをミナミホマレが勝利しており、タチカゼ以降もクモノハナ(1950年第17回)、クリノハナ(1952年第19回)が日本ダービーを制している。タチカゼの勝った1949年は皐月賞・菊花賞をプリメロ産駒のトサミドリが勝利しており、プリメロ産駒により三冠が達成されている。
タチカゼという名はおそらく漢字なら「太刀風」となり、これは「刀などを振った時に起こる風」を表すというが、まさにその名のとおり日本ダービーで凄まじい一閃を放ち衝撃を与えている。通算成績は16戦7勝で、日本ダービーに勝利したほかは重賞の勝ち星も無く、菊花賞で4着(2番人気)となった程度で、日本ダービーだけの衝撃のひと振りであった。
その衝撃とは、おそらく二度と破られないであろう「単勝19番人気」と「最高配当55,430円」という記録である。単勝55,430円も凄いが、とくに単勝19番人気に至ってはフルゲートが18頭となった現在、破りようがない。ただ、成績だけを見ると、そこまで人気を落とすとは思われないのだが。
日本ダービー史上最高配当
タチカゼのデビュー戦は1948年11月13日の京都競馬場芝の1000mで、4番人気で4着というあまりに平凡な成績だった。2戦目できっちり勝利すると、そこから3戦して6着2着1着とようやく2勝目を挙げ、日本ダービーへの切符を手に入れて、そこそこの評価を得た。しかし、日本ダービーまでの2戦で4着、5着と不甲斐ない成績を収め評価は急落する。
とはいえ、大敗している訳でもなく条件さえ合えば好走しそうな成績であり、19番人気(出走23頭)で5万円を超える単勝オッズになるほどでもないような気もする。例えば、1989年のエリザベス女王杯で「20番人気、単勝43,060円」のサンドピアリスなどは、芝のG3で9着、ダートの特別(900万下)で8着、900万下のダート戦で9着、6着という成績だった。
ここまでオッズが下がってしまったのは、負けた2戦の順位が4着、5着とはいえ惨敗だったこと、管理調教師の伊藤勝吉がダービー当日を待たずに京都競馬場の自厩舎に帰ってしまったこと、そしてトサミドリという大本命がいたことが原因だろう。トサミドリはこのレースで、単勝支持率55.78パーセント、単勝オッズ1.4倍という断トツの人気だった。
トサミドリは皐月賞・菊花賞を勝ち、通算成績はレコード勝利10回を含む通算31戦21勝という名馬である。日本ダービーまで皐月賞を含む5連勝、日本ダービーで7着に負けた後は菊花賞を含む11連勝という凄まじい成績で、「日本ダービー」だけぽっかりと穴の開いたように負けている。やはり日本ダービーは、強いだけでは勝てないのだろうか。
大波乱のレース
東の尾形、西の伊藤勝吉と言われた伊藤勝吉調教師は、「ダービー病に罹っている」と言われたほど日本ダービーに執心した調教師だったが、それまで3着になるのがやっとだった。自身も騎手としてクレオパトラトマスに騎乗し大本命とされたが、ガヴァナーの9着に敗れている。
それが思わぬタチカゼの勝利によって成し遂げられるのであるが、騎乗する近藤武夫騎手に「万が一勝ったら、賞金はどうすれば良いか」と聞かれ、「輸送費以外は好きにしていい。馬と一緒に熱海の温泉にでも入って全部使ってしまえ」と言ったほど期待しておらず帰京してしまい、この偉業を自分の目で見ることができなかった。勝利の一報を受けた際も、全く喜ぶ素振りは見せずただ呆然としていたという。
大本命のトサミドリが人気薄の先行馬たちに競り掛けられて暴走し、レースは異常なハイペースとなる。さらには桜花賞馬のヤシマドオターを含む3頭が落馬するなど、大波乱のレースとなった。大本命のトサミドリが馬群に沈むのを尻目に、後方待機していたタチカゼは失速する先行集団を抜き去り、12番人気のシラオキに半馬身差をつけて優勝する。
前後の競走成績だけをみると、日本ダービーにおいてタチカゼがトサミドリに勝つことは万に一つもないように思われる。それがたった一度の日本ダービー本番でタチカゼが勝ってしまうのが、競馬なのだろう。ただ、タチカゼの引退レースとなったオープン戦では、なんとタチカゼがトサミドリを破っている。しかし、タチカゼの斤量64kgに対しトサミドリは75kgという酷量だった。
競走馬引退後タチカゼは種牡馬となったが、重賞を勝つような産駒は輩出できず1965年に心臓麻痺で亡くなっている。
