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第22回日本ダービー馬「オートキツ」

ダービー馬列伝
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オートキツとトキツオー

1955年5月29日に行われた第22回日本ダービーを勝ったのは、「雨の月友」と言われ多くの産駒が重馬場で活躍した月友を父に、皐月賞・オークスという変則2冠を制し、オートキツ(日本ダービー)、オンワードゼア(天皇賞・春、有馬記念)という、2頭の年度代表馬を産んだ名牝トキツカゼを母に持つ「オートキツ」であった。

母のトキツカゼは後に日本ダービー馬となるマツミドリ(日本ダービーでのトキツカゼは2着)を、重馬場のA4歳競走では8馬身、同じく重馬場だった皐月賞でも6馬身ちぎって勝っている。母も重馬場にはめっぽう強かったようだ。なお、牝馬による皐月賞制覇はこのトキツカゼ以降現れていない。

馬主の川口鷲太郎にとってこれが4度目のダービー挑戦だったが、オートキツの母トキツカゼの際には「勝ったと思ったら、アタマ差マツミドリに届いていなかった。」という程の惜しいレースであり、その仔オートキツによる勝利はまさに悲願の日本ダービー制覇であった。

オートキツの日本ダービーを見届けた馬主の川口鷲太郎は、翌1956年の8月に亡くなってしまうが、中山の法華経寺で行われた葬儀には、前年に日本ダービーを制したこのオートキツも参列したという。

ちなみに、オートキツの鞍上、ダービージョッキーとなった二本柳俊夫は、後に三冠馬シンボリルドルフなどを管理する大調教師となるが、騎手として勝ったG1級のレースは、この日本ダービー1鞍だけである。

オートキツの名は、馬主川口鷲太郎が愛馬に好んで付けた「トキツ(時津)」と「オー(王)」を合わせたものだが、オートキツが日本ダービーを勝つ3年前の対談で、自身が持つ代表馬の1頭として「トキツオー」という馬を挙げていることから、被りを避けるために前後を入れ替えた「オートキツ」と名付けたのだろう。

日本ダービーを制覇

1954年11月13日の東京競馬場における新馬戦(芝1000m)でデビューすると2番人気に支持され、人気通りキンコウのクビ差2着となる。2戦目の新馬戦では得意の重馬場(稍重)も味方したのか、1番人気に応え2着テンセイに3馬身差の勝利を収める。

続くオープン戦では2番人気と人気するが、後にライバルとなるメイヂヒカリの7着と凡戦してしまう。なお、ここまでの3戦は田村駿仁騎手が騎乗している、そして重賞初挑戦となる朝日杯3歳Sでは野平幸雄騎手に乗り替わるも7着と大敗する。なお、勝ち馬はまたしてもメイヂヒカリだった。

その後条件戦を3戦して2勝するが、その2勝はいずれも二本柳俊夫騎手が騎乗したもので、残る1戦は若き日の「ミスター競馬」こと野平祐二騎手だったが10着と惨敗している。迎えたクラシック初戦の皐月賞の鞍上は田村駿仁騎手に戻るが、4番人気で10着に敗れる。ただ、騎手どうこうより戦績からすると妥当な人気と成績だろう。

そして大目標の日本ダービーへ向け、相性の良い二本柳俊夫騎手に戻りオープン戦に出走すると得意の不良馬場で20馬身近い大差で勝利する。しかし、トライアルのNHK杯では7番人気で8着という結果に終わる。普通に考えて日本ダービーで好成績を残すとは思えないが・・・

本番の日本ダービーはオートキツにとっての恵みの雨により「超」のつく不良馬場となり、10番人気だったオートキツはセントライトと並ぶ日本ダービー史上最大着差となる8馬身差で勝利する。なお、ライバルであるメイヂヒカリは、怪我により皐月賞・日本ダービーには出走していない。

ライバル「メイヂヒカリ」

日本ダービーを制した後は、二本柳俊夫騎手が引退まで乗り続けたが、馬場の良し悪しにかかわらず強いところをみせ、菊花賞までのオープン・優勝戦において5連勝する。そして2冠目となる菊花賞を迎えるが、ここで春のクラシックで不在だったライバルメイヂヒカリと対決する。

メイヂヒカリは復帰戦で前年の桜花賞馬カンセイに勝ちコースレコードで快勝し、次走毎日王冠では不良馬場に苦しみ2着となるも、続くオールカマーでは皐月賞馬ケゴン、二冠牝馬ヤマイチに完勝する。そして京都入りしてのオープン戦で快勝して菊花賞に挑むこととなった。

2頭の対決は1番人気が6連勝中のオートキツ、メイヂヒカリが2番人気になり、アメリカで「世紀の対決」と言われた「ナシュア対スワップス」と比較される程の注目を浴びた。レースは道中で先頭に立ったメイヂヒカリが後続を突き放しオートキツに10馬身という大差を付けて圧勝する。

この後も活躍した両馬、オートキツが当年の年度代表馬となり、メイヂヒカリは最良4歳牡馬賞を受賞する。同年齢の2頭が年度代表馬と最優秀4歳牡馬をそれぞれ受賞したのは、両馬の他には1966年の年度代表馬アサカオー(菊花賞優勝)、最優秀4歳牡馬マーチス(皐月賞優勝)の例だけである。
※ 現行では、年度代表馬は各部門の受賞馬から選出されるため、このような事は起こらない。

種牡馬となったオートキツは当初不振だったが、後年になって大井記念を勝ったアオイライコーや、障害レースで10連勝という最多連勝記録を持つキングスピードなどを出したが、大成はできなかった。一方のメイヂヒカリもハーバーヒカリ(目黒記念)、ミオソチス(オールカマー)が出た程度に終わっている。

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Diomed(ダイオメド)といいます。1969年生まれのおっさんです。
競馬や馬券のこと、その他ギャンブルにまつわる話を思いつくままに書いています。

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