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第11回 日本ダービー馬「ミナミホマレ」

ダービー馬列伝
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良血馬

第11回日本ダービーの勝ち馬であるミナミホマレは、1939年3月31日小岩井農場で産まれた父プリメロ母フロリストという良血馬だった。小岩井農場で行われたセリにおいて、4万円という高額で競り落とされた。一年前のダービーを制した三冠馬セントライトが3万2200円、そのライバルであったミナミモアが5万7000円だったことを考えるとかなりの期待馬であったことが分かる。

父プリメロはアリルランドでの競走馬時代には、アイリッシュダービー、アイリッシュセントレジャーを制すなど15戦3勝という成績だった。一般戦で1勝した以外の残る2勝がどちらもクラシックという勝負強い馬だった。名門小岩井農場が戦前の大種牡馬シアンモアの後継として、6万円という高額で購入された。

プリメロは2年目の産駒から早速ブランドソール(中山四歳牝馬特別(今の桜花賞)優勝)、そしてミナミホマレが日本ダービーを制するなど、期待に違わぬ活躍をみせる。4頭の日本ダービー馬を含む15頭もの産駒がクラシックを勝ちまくり、それはサンデーサイレンスに破られるまで長きにわたる最多記録であった。

母フロリストは競走名をフロラーカツプと言い、帝室御賞典(今の天皇賞)を勝つなど自身も活躍した名牝である。引退後はフロリストの名で繁殖入りし、ラシデヤーとの配合によるハクリユウ、シアンモアとの配合によるハクセツ・スターカツプ・アカイシダケがそれぞれ帝室御賞典で優勝するなど、繁殖牝馬としても優秀であった。

そしてプリメロとの配合でこのミナミホマレを輩出し、主な直系子孫には第弐フロリスト系のダテテンリュウ・ガーネツト・ポレール・メイショウサムソン・セイウンワンダーや、スターカツプ系(シラオキ系含む)のケンホウ・ビッグウルフ・シスタートウショウ・マチカネフクキタル・スペシャルウィーク・ウオッカがいるという歴史に残る名牝である。

デビューからダービーまで

ミナミホマレは1942年3月、横浜競馬場の新馬戦でデビューすると期待どおりの勝利を収める。しかし、2週間後に行われた横浜農林省賞典四歳呼馬(今の皐月賞)では、アルバイトに2馬身半離されての2着に終わる。最大の目標である日本ダービーに向けて東京でのオープン戦に出場し、これに楽勝する。

日本ダービー当日(1942年5月24日)は、晴天の良馬場で行われた。前年である1941年の12月8日に真珠湾攻撃がなされており、日本は第二次大戦の真っ最中であった。日本ダービーの2週間後には、日本が大敗北するミッドウェー海戦を迎えている。そんななか、日本ダービーには多くの観客が訪れたいそうな賑わいだったという。

1番人気は横浜農林省賞典四歳呼馬(今の皐月賞)を制し5連勝中のアルバイトで、支持率は半数を超えるという断然人気であった。ミナミホマレはそアルバイトに次ぐ2番人気だが、支持は14.8%とかなり離れた人気だった。関西馬のハヤタケが逃げる展開で、ミナミホマレは後方待機策をとる。

断然人気のアルバイトが早めに抜け出し、ゴール手前100mで先頭に立つ。後方待機していたミナミホマレは、4コーナーでも後方だったが、最後の直線でインにコースを取り追い込みをかける。そしてハヤタケを抜き去りさらには先に抜け出していたアルバイトに並びかけ、最後クビ差交わしたところがゴールだった。

優勝タイム2分33秒0は、第7回日本ダービーでスゲヌマが出した2分33秒4を超えるレコードだった。ミナミホマレはこの日本ダービーの勝利をもって引退し、種牡馬となった。2着のアルバイトはその後クリヒカリと名を変えて競争を続けたが、G1馬にして競走名を変更した珍しいケースである。

引退後と評価

競走名を変えたG1馬はほかにパーフェクト→トキノミノル(皐月賞・ダービーを勝ち10戦10勝で急逝した「幻の馬」)や、タマサン→ダイナナホウシュウ(皐月賞・菊花賞・天皇賞秋を勝った名馬)がいる。ちなみに、海外ではヤゼール→ドバイミレニアム(ドバイワールドCなどG1を4勝した世界的名馬)が有名である。

ミナミホマレは種牡馬となっても、1954年の第21回日本ダービー馬ゴールデンウエーブを輩出し、カブトヤマ、マツミドリ以来の親子制覇を達成する。1958年の第25回日本ダービーでも産駒ダイゴホマレが勝利し、2頭のダービー馬の父となった。

競走馬としても種牡馬としても優秀だったミナミホマレであるが、前年のセントライト(日本競馬初の三冠馬)と翌年のクリフジ(最多全勝記録である11戦11勝した名牝中の名牝)に挟まれていることもあり、日本ダービー馬としては地味な印象があり、最強馬として名が挙がることも少ない。

しかし、「無事これ名馬」という造語の生みの親である岡田光一郎をして、「日本の競馬史上からは忘れられない1頭といわなくてはならない」と評するに至り、「サラブレッド血統事典」の山野浩一も「史上ベスト22サラブレッド」の1頭にミナミホマレを選んでいる。

産駒のダービー馬ゴールデンウエーブが日本ダービーを勝った際には不良馬場であったし、同じく産駒のホマレオーは「重馬場の鬼」と言われており、産駒には不良・重馬場を得意とする傾向があった。ミナミホマレは良馬場でしか走っていないが、自信も悪い馬場では最強だったかもしれない。そこでとんでもない強さを見せていれば、もっと評価は上がっていたかもしれない。

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