PR

第10回 日本ダービー馬「セントライト」

ダービー馬列伝
スポンサーリンク

初の三冠馬

第10回の日本ダービーは、前夜からの雨の影響もあって重馬場のなか1941年5月18に行われた。1番人気は、シアンモア産駒のミナミモア。セントライトは、クラシック初戦の横浜農林省賞典四歳呼馬(今の皐月賞)でそのミナミモアを破っているにもかかわらず、このダービーでは2番人気であった。

セントライトは小岩井農場でのセリで3万2200円で落札されているが、ミナミモアはその倍近い5万7000円という高額で落札されており、ミナミモアのほうが期待は高かったのだろう。確かにセントライトは新馬戦でも12頭立ての7番人気と人気は低く、同じ加藤雄策(馬主)の所有馬のなかでは、当年の牝馬最高額だったブランドソール(中山四歳牝馬特別(今の桜花賞)の勝ち馬)のほうが評価は高かったという。

ちなみにミナミモアは、この日本ダービーは重馬場だったこともあり9着と惨敗するが、京都農林省賞典四歳呼馬(今の菊花賞)ではセントライトの2着になっている。さらに5歳になって帝室御賞典(春)(今の天皇賞)を6馬身差のレコードタイムで圧勝しているから、こちらも強い馬だった。

そんな強い馬をライバルとして三冠を達成したセントライトも強かったということだが、三冠馬のなかでは地味なほうであり、最強馬という話をする際にその名を聞くことはあまりない。私が競馬を始めた頃の三冠馬は、このセントライトのほかにシンザン、ミスターシービー、そしてシンボリルドルフという4頭だけであった。

私の中での順位付けは、シンボリルドルフ>シンザン>>ミスターシービー>>>セントライトという感じであるが、これはおおよそのファンがそうなのではないか。セントライトの評価が低いのは、もちろん時代が古いからということもあるだろうが、古いからこそ情報も少なく逆に伝説化して最強と呼ばれることもあり得たはずだ。

戦時の三冠馬

セントライトが最強馬と言われないのは、三冠を達成後に引退し、その後今でいうG1を勝っていないことも理由のひとつだろう。クラシックで3度負かしているミナミモアが、その後古馬になって帝室御賞典(春)(今の天皇賞)を勝っていることから、セントライトが引退していなければ大レースを制し、今でいうG15勝馬、6勝馬となって「最強馬」に名を連ねていたかもしれない。

では、なぜ三冠を達成した直後に引退したのかと言うと、それは怪我や脚部不安というような馬の問題ではなく、馬主である加藤雄策の意向による。セントライトは三冠達成後、当時日本ダービーと並び最高の栄誉だった帝室御賞典(今の天皇賞)を目標として調整していた。しかし、本番前のハンデキャップ競争に出走するにあたり斤量が72kgというあまりの酷量になることが判明し、引退を決めたという。

競馬好きで知られ加藤の競馬における師匠である文豪・菊池寛は、「賞金を稼がせるつもりならまだ使えるのを、惜しげもなく引退させてしまう。ああ云う所は実に立派だ。天下の名馬も彼の如きに認められて、はじめて終わりを全うし得るのかも知れない。」と言っている。この頃から「馬優先」を貫いていた人物がいたことは、非常に素晴らしくまた頼もしく思う。

ちなみに、小西騎手が三冠の全競走で獲得した進上金(賞金における騎手の取り分)は2700円(今の価値にして70万くらい)だったが、戦時というだけあって現金ではなく10年国債で支払われていた。そして、日本の敗戦と共にそれは紙屑と化したという。そして、馬主の加藤は三冠達成の3年半後となる1945年5月25日、アメリカ軍の空襲により命を落としてしまう。

種牡馬となったセントライトは、1947年にオーエンス(1947年、春の天皇賞)、オーライト(1951年、秋の天皇賞)、セントオー(1952年、菊花賞)などを輩出するも、GHQによって小岩井農場がサラブレッド生産を禁じられこともあり、岩手畜産試験場へ移されて交配相手もアラブや中間種などと著しく低下し、活躍馬を出すことができなくなった。戦時の悲しさとは、こういう時に現れるものだ。

セントライトの評価

三冠は重馬場に恵まれたなどと言われることもあり、スタミナのかたまりであったことは否めないが、それだけで三冠が取れるほど競馬は甘くない。スタミナほどではなかったとしても、一流のスピードがあったことも事実だろう。ただ、なんといっても競馬を知っている「ほんものの名馬」であったことは間違いない。

それを如実に表す「関係者が語るセントライト」をいくつか紹介する。

全てのレースに騎乗した小西喜蔵騎手

「セントライトは極めて温順で扱いやすく、競馬においてもどの位置からでもレースを進めることが出来た。さらに競馬になると旺盛な闘争心も発揮し、特に競り合いには非常に強かった」「レースではなんの心配もなかった」「三冠レースなどの大レースを知っていた」「負けるものか、と僕に言いながら走ったね」

2頭目の三冠馬シンザンを管理した武田文吾調教師

「シンザンには、レコードがないってよくいうが馬はタイムじゃない。昔、ミナミモアって馬がいた。レコード出すような速い馬、いい脚をもった軽快な馬だった。同い年にセントライトがいた。これがまた鈍重でね。顔は長くて、ホント、馬みたい(笑)。別々に走ったら、いつでもミナミモアの方が速い。それが一緒に走ったら、モッサリ型のセントライトが勝つんだ。」

農学者である桜井信雄

「馬が競走する、つまり運動するためには当然運動神経の興奮が必要である。馬場に出て適当なウォーミングアップをして筋肉をほぐし、また多少興奮させることは陸上競技の場合と同様に、むしろ効果的であろうと考える」「セントライトは、神経の興奮作用と抑制作用がどちらも強く、しかも電源スイッチのように、その作用を瞬間的に切り替えられる仕組みになっていた。ほんものの名馬といえよう。」

どうしてもデータ上では強さを感じることは難しいが、目標となるレースで、どんな馬場でもきっちり勝つ。ほんものの強い馬であったことは間違いない。ただ、生まれた時代が少し悪かったのかもしれない。

第11回 日本ダービー馬「ミナミホマレ」
良血馬第11回日本ダービーの勝ち馬であるミナミホマレは、1939年3月31日小岩井農場で産まれた父プリメロ母フロリストという良血馬だった。小岩井農場で行われたセリにおいて、4万円という高額で競り落とされた。一年前のダービーを制した三冠馬セン…
タイトルとURLをコピーしました