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マルトラック~何故か記憶に残っている馬

競馬
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何故か記憶に残っている馬

重賞を勝った訳でも無い、大きな馬券を取らせてもらった訳でも無い、それでも何故か記憶に残っている馬というのが何頭かいる。「マルトラック」はそんな馬のうちの1頭だ。

あらためてマルトラックの戦績を見てみようと「マルトラック」で検索すると、『マルトラックは福岡市を中心に福岡県内・佐賀県内で出店する、クレープ専門のキッチンカーです。』というのが最初に出てくるが、これは馬とは全く関係なさそうだ。

まさか、マルトラックのファンだった競馬好きの社長が、自分の会社につけた…ってことはないだろう。そんなマルトラックは、ネットではこのクレープの次にネットケイバの競走馬データとして出てくる。

父カツラノハイセイコ、母マルキャプテンから産まれたマルトラックは、1989年1月29日に京都競馬場の「4歳新馬戦」(今の3歳)でデビューする。ダートの1800のレースだが、中団から追い込んで3着というなかなかのデビュー戦である。

546kgという巨体だが、父カツラノハイセイコはおおよそ430kgの小さな馬だったというから、500kg近くあった祖父ハイセイコーの血が強く出たのかもしれない。なお、父カツラノハイセイコは、祖父の元祖アイドル馬であるハイセイコーが果たせなかったダービーを制覇した名馬だが、冠名「カツラノ」に父ハイセイコーの名前を付けたが9文字を超えるため「カツラノハイセイコ」となった初期の有名な字足らず馬名である。

冠名が「マル」

ちなみにマルトラックの何故か記憶に残っている馬で、小川重一さんという方が馬主なのだが、その所有馬で最も活躍したのがこのマルトラックという。馬主として重賞勝ちはなく、このマルトラックのウインターS(G3)の2着が最高成績である。

マルトラックはデビューした1989年に13戦して3勝している。当時の900万下を勝ち、準オープンクラスまで上り詰め、格上挑戦したウインターSで2着となりオープン馬となった。たいしたものである。

ちょうど、その年の春の天皇賞から競馬を始めたので、私の記憶に残っているかもしれない。特に、1989年の9月から翌1990年5月までに13戦しており、その間に芝のレースにも出てみたり、愛知杯(9着)や金杯(12着)といった芝のレースから、ダートのウインターS(2着)やフェブラリーS(9着。当時はG3のハンデ戦)にも出ており、その無節操さやタフが印象に残ったのだろう。

その後1990年の11月から1992年の12月まで25戦して2勝(ともに1500万下)、2着5回(すべて1500万下)と結構な場面で馬券に絡んでいる。やはりこの1500万下での活躍がマルトラックを有名(?)にしたのだろう。

マルマル馬券

相撲で言えば十両の上位で10勝し、幕尻で負け越してまた十両に落ちるのを繰り返すといった、十両上位の常連といった感じの「名物」力士のようなイメージであるが、確かに550kg近い巨体は名物力士を思い起こさせる。

最後の勝利となった1500万下の梅田S(ダート1800)からは、栗東S(ダート1400のOP)で3着と善戦し、思い出作りに走った京都大賞典(G2)で14着、最後はダートのアンドロメダSで大敗して引退した。

大きな怪我もなく半年走って半年休んでを繰り返し、長く活躍した馬主孝行な馬だったと思う。なんとネットケイバの競走馬掲示板には3つもの書き込みがある。ちょっとビックリした。その内容は、準OPの常連で大型馬のためいかにも不器用、というのと、ウインターSの「マルブルスピーリア」と「マルトラック」のマルマル馬券「荒れました」という書き込みである。

枠連しか無い時代の枠連1-8で12,460円の万馬券。当時は万馬券と言えば(枠連しかないから)ゾロ目だったが、普通に1-8で万馬券というのは凄い。多分、当時ダートで無双していた「オサイチブレベスト」が飛んだからだろう。そういえば、私はそこから買って外したような記憶がよみがえってきた。チクショー!

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Diomed(ダイオメド)といいます。1969年生まれのおっさんです。
競馬や馬券のこと、その他ギャンブルにまつわる話を思いつくままに書いています。

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