東京優駿大競走
第1回の日本ダービーは1932年(昭和7年)、イギリスの「ダービーステークス」を範として創設され、「東京優駿大競走」の名にて4月24日に目黒競馬場にて行われた。「東京優駿大競走」というとなんだか大げさな感じがするが、今も正式名称はそこに含まれる「東京優駿」であり、聞き馴染みのある「日本ダービー」のほうが副称である。
今は本家イギリスのダービーに合わせて5月下旬から6月初旬に行われているが、第6回までは4月の下旬に行われていた。改修工事などの影響で、宝塚記念が京都競馬場で行われるなど、G1であっても開催地が変更になることがあるが、日本ダービーは第3回以降は必ず東京競馬場で行わている。
第1回はもう100年近い前(2026年現在)の事であり、日本ダービーの重みや歴史を感じるが、本家イギリスの第1回はなんと240年以上前の1780年、第1回日本ダービーより150年以上前に行われていたというから、流石に歴史的には本家に適わない。1780年というと日本は第10代徳川家治の治世で、賄賂政治家として有名な「田沼意次(たぬまおきつぐ)」の時代である。
なお、第1回日本ダービーの行われた1932年のイギリスダービーは既に第153回を迎えており、エイプリルフィフスが制しており、その翌年である1933年、第154回のダービーはノーザンダンサー系の前に繁栄した「ハイペリオン系」の始祖「ハイペリオン」である。
第1回日本ダービー
出走頭数は19頭。1番人気はワカタカ。中山競馬場の新呼馬(今の新馬戦)で5着だったが、次走、目黒競馬場での2000mのレースで稍不馬場のなか10馬身差をつけて圧勝したことから、圧倒的な人気を背負う。2番人気は新呼馬をレコード勝ちした牝馬のアサザクラ。3番人気は関西から東上するワコー。
中山競馬場の新呼馬をレコードで圧勝した牝馬のシラヌヒが出ていれば、ワカタカと並ぶ又はそれ以上の人気を得たと思われるが、この第1回日本ダービー(東京優駿大競走)には出馬登録されなかった。なお、ワカタカの名の由来についての詳細は分からないが、(若鷹)の意であるという。
今では考えられないが、負担重量は別定重量でワカタカの斤量は56kgであった。第2回目以降は馬齢重量戦となり、第2 ~8回の牡55kg・牝53kg、第9~13回の牡57kg・牝55.5kgを経て、現在の牡馬57kg、牝馬55kgに至る。レースはあいにくの雨のなか、不良馬場で行われた。
スタートは今のゲート方式ではなく、陸上競技のゴールテープのような仕切られたロープが跳ね上がることで切られるバリアー方式であった。スタートの合図であるロープが上がると、内枠から3番人気のワコーがスタート良く飛び出して先行する。しかし2馬身差で追う1番人気のワカタカが最初のコーナーで並びかけ、そのまま先頭へ立つ。
そこへ6番人気の逃げ馬アサハギが、徳田騎手が懸命に手綱を絞るものの抑えが効かず、ワカタカに競り掛かってしまう。ワカタカの鞍上である函館騎手は落ち着いて手綱を抑えて対処し、1周目の直線でワカタカ、アサハギ、ワコーの順で落ち着いた。第3コーナーからワカタカはスパートし、第4コーナーでも2番手に5馬身差をつけ先頭で最後の直線を迎える。
そしてそのまま追走を許さず、内をすくって追い込んできた16番人気の人気薄オオツカヤマを4馬身振り切ったところがゴールだった。調教師である東原玉造の指示に対して「お前とオレとじゃ腕が違う。今日のレースはオレにまかせとけ」と言い放ち、意表を突いた逃げを打ち見事に勝利した名手函館孫作騎手の手柄だろう。
血は残らずとも残るワカタカの名
なお、払戻金はワカタカの単勝が39円となっているが、これは1枚20円で売られていた馬券に対する払戻額であり、そのため単勝1.95倍という今では有り得ない倍率となっている。当時の小学校教師の初任給が40円という時代だから、20円の馬券を買うのは庶民には難しく、現実には競馬場で同じ馬を買う人を探し、お金を集めて共同で買っていたらしい。
ワカタカはその後、帝室御賞典や横浜特別などの大競走に優勝し、通算21戦12勝という見事な成績を収めた。特に現役最後の3レースは12月1日~3日に3日連続(!)で出走し、それも71kg~73kgというとんでもない斤量を背負い、それでも2勝(しかも残る1レースも2着)したというから凄い。
「運の強い馬が勝つ」と言われたダービーで優勝し、その後も活躍して最後はタフなところも見せたワカタカ。運も実力も体力もある一流馬だが、種牡馬としては成功しなかった。いや成功しなかったというよりは最初から成功は期待されておらず、肌馬はほとんど軍馬などであったといい、成功するはずが無かった。
その理由は、3代前の母である「ミラ」が血統不詳のためワカタカがサラ系(8代前までに1頭でも血統不明の馬がいる場合、サラ系とされサラブレッドとは見做されない。)とされているからである。記念すべき第1回の日本ダービー馬の血が残っていないのは残念だが仕方がない。それでも、初代ダービー馬としてワカタカの名は日本の競馬史に永遠に名を遺す。


