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第30回日本ダービー馬「メイズイ」

ダービー馬列伝

菊花賞史上最高の支持

菊花賞史上最高の単勝支持率となる83.2%という、とてつもない数字を記録した馬がいる。まず思いつくのはディープインパクトだが、それは違う。彼が三冠を達成した2005年菊花賞での単勝支持率は79.03%であった。83.2%という数字の凄さが分かる。

その記録を打ち立てた馬の名は「メイズイ」と言い、三冠を賭けて挑んだ1963年の菊花賞がそのレースである。しかし、メイズイはそのレースで6着に敗れ、史上最高の単勝支持率に応えることができなかった。そして「確実」と言われた三冠も夢と消えてしまった。

いったい何があったのか。過剰人気だったのか、体調不良だったのか、またはレース中のアクシデントだったのか。答えは、その何れでもなく「騎手の慢心、驕りによるもの」と言われている。その騎手は「三冠確実」と言われた菊花賞前のインタビューで、「敵はレコードタイムだけだね」とうそぶいたという。

日本中央競馬会も三冠達成記念のくす玉を用意していたというその菊花賞で、「三冠キラー」の異名を持つ浅見国一騎乗が仕掛けたコウライオーに絡まれ、メイズイは掛かってしまう。800m、1000mのラップタイムがそれぞれ11秒7、11秒5というハイペースとなり、早々と失速する。

鼻持ちならない自信家の若手騎手に対するベテラン騎手の洗礼に、まんまと引っかかってしまった感があるが、その態度は「三冠達成のプレッシャーに押し潰されないため、敢えて強気の態度を取っていた」のが実際だったという。それは、レース後その騎手が体調を崩し入院したことからも窺うことができる。

グレートヨルカとメイズイ

母チルウインドは既にメイコウ(6勝)・メイタイ(スプリングSなど7勝)を産んでおり名繁殖牝馬と名高く、父ゲイタイムも種牡馬として活躍をしているという血統のメイズイは、名調教師である尾形藤吉をして「傑作」と言わしめるほど高く評価され、その場で尾形調教師の管理と決まった。

尾形厩舎の主戦騎手である保田隆芳騎手を背に、初戦の新馬戦は2着に10馬身差を付けての圧勝、続くオープン戦もレコードタイムで勝利。次走も4馬身差で快勝して3連勝。メイズイは期待どおりの活躍をみせる。

次走の東京記念において、前年最優秀3歳牡馬となっていた尾形厩舎の僚馬・グレートヨルカと初対戦することになるが、同馬も保田隆芳騎手が主戦としていた。名手保田に乗ってもらうための、グレートヨルカの馬主・小野晃による馬房の前に座り込むなどのパフォーマンスもあってか、保田隆芳騎手はグレートヨルカに乘ることになった。

そして、一方のメイズイには保田隆芳騎手の弟弟子である森安重勝騎手が乘ることになった。のちに「確実」と言われた三冠のかかった菊花賞で史上最高単勝支持率を受けながらも、自身の驕り(虚勢だったとしても)と騎乗ミスにより、世紀の敗退をすることになる森安重勝騎手である。

グレートヨルカが1番人気、メイズイが2番人気となったレースは、メイズイが発馬機に顔をぶつけて立ち後れる波乱のスタートとなる。そこからメイズイは向正面を過ぎて速度を上げ、グレートヨルカを交わし先頭に立つが、最後の直線でグレートヨルカに交わされ1馬身3/4差の2着に終わる。

菊花賞までの道のり

続くスプリングSでは、不良馬場のなかメイズイが逃げ切りグレートヨルカに4馬身差を着けて勝利し雪辱を果たす。そして迎えたクラシック第一弾の皐月賞だが、厩務員組合のストライキにより直線の長い東京競馬場へ施行が変更、メイズイには不利とされグレートヨルカが1番人気となる。

しかし、逃げたメイズイを捕まえることはできず、メイズイが2馬身差をつけて快勝し一冠目を制する。走破タイム2分2秒6は、トキノミノルの記録を12年ぶりに更新するレースレコードだった。続く日本ダービーは「MGダービー」や、2頭の枠連オッズ1.7倍という低さをもって「銀行ダービー」とも言われ、全くの2強対決ムードとなった。

レースは逃げたメイズイが当時としては速い1000mを1分1秒というハイペースのなか、4コーナー手前からスパートをかけるとそのまま独走し、2着グレートヨルカに7馬身差をつけて圧勝する。優勝タイム
2分28秒7は2400mの日本レコード(コマツヒカリ)を0.1秒更新する新記録で、ダービーとしてもレースレコードを1.5秒も縮める大記録だった。

夏場を休養に充てたメイズイは、10月12日の復帰戦となるオープン戦で重賞4勝の古馬トウコンを破って勝利し、関西入りした続くオープン戦でも楽勝する。ライバルのグレートヨルカは秋初戦のセントライト記念をレコード勝ちしたものの、その後肩を痛めて予定の京都杯を使えないという状態だった。

ここまで皐月賞・日本ダービーを含む9戦8勝2着1回というほぼ完璧な成績で、唯一メイズイに土を付けたグレートヨルカは順調さを欠いている。「三冠確実」と言われ、単勝支持率が菊花賞史上最高となる83.2%となるのも頷ける。鞍上の森安重勝騎手が敢えて言ったという「敵はレコードタイムだけだね」という言葉だが、ファンも関係者も同じ気持ちだったのではないだろうか。

メイズイと森安騎手のその後

それでも負けてしまうのが競馬なのだ。メイズイの負けた菊花賞を制したのはライバルのグレートヨルカであり、鞍上は兄弟子の保田隆芳騎手だったが、入線後に保田隆芳は、後方からメイズイが来るのを待ち、森安騎手に「このバカヤロー!」と怒鳴ったという。

ズルズルと交代するメイズイを目の前にして、調教師の尾形は、保田騎手に言われるまで管理するグレートヨルカが勝ったことに気づかなかったという。尾形はのちに「情なくて涙も出ないという言葉があるが、無理をしいられたメイズイがかわいそうでならなかった。見るに堪えない負け方をした」と言い、森安騎手について「ダービーをとったら、のぼせて不良に落ちた」とも語った。

その後メイズイに森安騎手が乗ることはなく、主に保田騎手が騎乗した。スワンSなど5勝をあげるも、天皇賞(2着、8着)・有馬記念(2着、3着)と往年の輝きを取り戻すまでの活躍はできなかった。しかし、それは力が無くなったのではなく、(2400m以下16戦15勝、2600m以上6戦0勝)という距離適性もあったかもしれない。

引退後は種牡馬となり一定の人気を得るも活躍場は出現せず、中央の重賞を勝つ産駒は生まれなかった。その後はアラブ馬専用の種牡馬として供用され、タマツバキ記念の勝ち馬ブイセブンなどが出るに留まり、1978年8月5日、神経痛の悪化により馬房内で死亡している。

森安騎手はその後オークスを連覇するなど一定の活躍をするも、年間最高勝利数も45勝に留まるなど、評価程の成績を残すことはできなかった。晩年は糖尿病に苦しめられ、47歳という若さで夭折。1964年には、ダービーの副賞として貰った車で飲酒運転のうえ14歳の少年を亡くしている。

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