地味なダービー馬の代表格
日本ダービー馬にも色々あって、ディープインパクトやナリタブライアンのように三冠馬でもあり最強馬の一頭に数えられるような、競馬に詳しくない人間でも名前を聞いたことがあるような有名な馬もいれば、オートキツやテイトオーのように、若いファンには全く馴染みがなく聞いたこともないといった地味な日本ダービー馬もいる。
1962年に行われた第29回日本ダービーの勝ち馬「フエアーウイン」も、地味なダービー馬の筆頭に挙げてもよさそうなほど、その名も成績も知られていない。それもそのはずで、日本ダービーを勝利したときも6番人気(単勝オッズ20.6倍)と人気がなく、その後菊花賞(17着)と有馬記念(10着)で大敗、その後はオープンで2勝しかしていない。
さらに、翌年からの日本ダービー馬というのが、当時三冠確実と言われ菊花賞史上最高83.2%という単勝支持率を受けるも6着に負けた悲運の名馬メイズイ、戦後初の三冠馬で天皇賞・有馬記念も制した五冠馬シンザン、自身の故障(のちに安楽死)も顧みず騎手を気遣う仕草をみせた悲劇の名馬キーストンというから、フエアーウインが地味になっても仕方ない。
フエアーウインの11着
日本一いい加減な競馬評論家として有名な「井崎脩五郎」が2023年の皐月賞を迎える際のスポーツ新聞のコラムで、こんなことを言っていた。(以下は記事の要約)
「フエアーウインの11着」というのを競馬のオールドファンはよく口にする。1962年の皐月賞でのこと。フエアーウインは、人気馬の1頭(4番人気)として出場した。それまでの成績は、前年のデビューから計8戦して5-2-1-0という、着外なしの堅実さ。皐月賞も好勝負だろうと思われたのだが、心配が一つだけあった。多頭数の経験がなかったのだ。
それまでの8戦全てが10頭立て以内。はたして16頭立ての皐月賞で、上手に馬群をさばくことができるのか。そんな心配が皐月賞で現実のものになってしまう。折り合わず、馬群を避けるように首を曲げ、よいところなく11着に大敗してしまうのだ。このままスランプに陥ってしまうのか、多頭数を一度経験したから、今度は折り合うはず。
意見は二つに分かれ、皐月賞に続いて出走したダービーでは、32頭立ての6番人気となる。その結果だが、フエアーウインは果敢に先行して直線抜け出し、後続の追撃を振り切って日本ダービーを制するのだ。だから「フエアーウインの11着」というのは、初の多頭数は凡走の危険あり、ただし一度で見限ってはいけないという、いわば競馬格言なのだ。
ちなみに、その記事で【10頭立て以下の経験しか無い馬がソールオリエンス、マイネルラウレア、ワンダイレクトの3頭おり、前走の京成杯を2馬身半差で圧勝したソールオリエンスは、人気になることが確実だが、その取捨は初の多頭数でも動揺せず、パドックで悠然と歩いているかにかかっている。】と結んでいる。
実際にパドックでのソールオリエンスの様子は知らないが、ソールオリエンスはそのレースで初の多頭数を克服し、人気(2番人気)に応えて快勝している。なお、3戦3勝で挑んだ日本ダービーでは、1番人気に推されるも、皐月賞で2着に負かしたタスティエーラの2着に敗れている。
エピソードや記録
この「フエアーウインの11着」というのは私は初耳だったのだが、こういった競馬格言のようなところに名を残しているのは、地味なダービー馬である「フエアーウイン」やそのファンにとっては嬉しいことだろう。なお、青森県産としての(今の時点では)最後のダービー馬でもあり、同じ青森県産の日本ダービー馬ヒカルメイジとともに「道の駅しちのへ」に銅像があるという。
1955年、56年にリーディングジョッキーになった名手高橋英夫騎手をダービージョッキーにしたのが、このフエアーウインである。高橋英夫騎手の他のG1級レースの勝鞍には、1949年オークスのキングナイトがいる。2着のヤマノオーとコレヒサは日本ダービー史上初の同着だった。
引退後は種牡馬となったが、産駒に目立った活躍馬はおらず、現在フエアーウインの血を引く馬は存在しない。詳しく調べてはいないが、日本ダービーを勝った馬で皐月賞(11着)、菊花賞(17着)がともに2桁着順というのは、この馬以外にはいないではないだろうか。地味な割には個性的な成績である。

