デビューまで
第6回になる日本ダービーは1937年4月29日に行われたが、この第6回が4月に行われた最後のダービーである。なお、第7回以降は全て5月又は6月に施行されている。また、過去5回の日本ダービーは全て不良馬場で行われているが、この第6回にして初めて好天のなか良馬場で行われることとなった。
その良馬場をレコード勝ちで制したのは、4番人気の牝馬「ヒサトモ」であった。タイムの2分33秒6は、第4回の日本ダービー馬であるガヴァナーのタイムを8秒以上も更新する素晴らしいものだった。なお、当時の負担重量は牡馬55kg・牝馬53kgだった。なお、3年後の1940年には牡馬57kg・牝馬55.5kgと変更され、戦後初の1947年第14回ダービーから牝馬の負担重量が55kgに変更されて今に至る。
もちろん、日本ダービー史上初の牝馬による勝利であり、ほかには1943年の第12回のクリフジと2007年の第74回のウオッカしかいない偉業である。なお、ヒサトモの2着にも牝馬であるサンダーランドが入線しており、唯一の牝馬のワンツーで決まった日本ダービーとなっている。
父は昭和初期の日本を代表する種牡馬トウルヌソル、母は当時としては珍しいアメリカからの輸入馬「星友」という良血馬であった。管理することとなった騎手兼調教師・中島時一は阪神競馬場に所属していたが、デビュー前からヒサトモの目標を日本ダービーに据えており、初戦から関東で走らせることにした。
しかし、中島調教師は関東における調教師免許を所持していなかったことから、中山競馬場の大久保房松に管理を依頼することとし、自らは騎手として騎乗することとなった。
第6回日本ダービー
全17頭のうち15頭が、当時二大種牡馬と言われたトウルヌソルとシアンモアの産駒だった。なお、第1回から第5回までの日本ダービーは、全て2頭の産駒(トウルヌソル2回、シアンモア3回)であり、この第6回もいずれかの産駒が勝つのではないかと思われていた。
圧倒的1番人気となったのは、関西のシアンモア産駒ゼネラル。阪神競馬場で行われた帝室御賞典をレコード勝ちしており、単勝支持率は52%もあった。2番人気は4戦2勝2着2回という安定感のある関東馬ハッピーマイト。後の第12回日本ダービー、阪神優駿牝馬(オークス)、京都農商省賞典四歳呼馬(菊花賞)という変則三冠を制し、最強馬にも上げられるクリフジの全兄である。
ヒサトモは、3番人気のガイカに次ぐ4番人気だった。スタート良くミスターシービーが逃げる。もちろん、後の三冠馬とは別馬である。続く2番手からヒサトモ、ツバクロダケだが、第2コーナーの時点でヒサトモが先頭に踊り出る。
1番人気のゼネラルは馬群にもまれる厳しい展開、2番人気のハツピーマイトは腹帯が外れるアクシデントに見舞われる。そんな両馬を尻目にヒサトモは順調に脚を伸ばし、向こう正面で2番手を5馬身離す逃げを打つ。直線になっても脚は衰えず、追い込んだ7番人気のサンダーランドの追撃をかわし、1馬身差つけてゴールした。
戦前からこのレースは西高東低と言われていたが1着から4着まで全て関西馬が占め、そのとおりの結果となった。なお、関西馬の優勝は初めてであった。ダービージョッキーとなった中島時一は37年後の日本ダービーをコーネルランサーで制する中島啓之の父(日本初の父子二代のダービージョッキー)だが、中島啓之は騎手候補生になるまでそのことを知らなかったという。
ヒサトモのその後
日本ダービーを勝った後、飛躍が期待されたヒサトモだが呼吸疾患(喘鳴症ではない)に罹り7連敗を喫する。しかし、症状が治まった後は6連勝を含む14戦11勝と本格化し、帝室御賞典にも勝利した。ヒサトモに続いて日本ダービーを制した牝馬で、最強馬とも言われるクリフジの影に隠れてヒサトモの名前は薄れつつあるが、当時を知る者は「クリフジに勝るとも劣らない偉大な競走馬」と評する者もいる。
引退後は「久友」として繁殖入りしセフトの仔を2頭産むが全く活躍できず、その後不受胎が2年続き、続くセフトの仔、ステーツマンの仔はそれぞれ5勝しそこそこの活躍を見せる。それから流産と不受胎が続き繁殖牝馬を引退する。
しかし、16歳となった1949年に地方競馬での復帰が打診される。「繁殖牝馬として復帰する際の減量」と称してのものだったが、実際は「戦後の馬不足のための頭数(あたまかず)揃え」だったようだ。所有者の経営状態が悪く久友(ヒサトモ)を繋養する余力が無かったことから、その提案に乘らざるを得なかったということらしい。
日本ダービーを勝った馬としては寂しい限りであるが、ヒサトモは2週間の間に5戦走って2勝を上げ流石と思わせた。その後柏競馬場で勝利ののち浦和競馬場に移送され、調教中に心臓麻痺を起こす。調教を終えて馬房に戻る際、崩れるように後ろ脚から倒れたという。
いつ消えてもおかしくないヒサトモの血脈であったが、ヒサトモの5代孫となるトウカイローマンが1984年にオークスを勝ち、その甥にあたる牡馬が日本ダービーを勝利する。その馬こそがG1を4勝し有馬記念で奇跡の復活をした名馬、トウカイテイオーである。


