二代目ハクシヨウ
1961年に行われた第28回の日本ダービーを制したのは、ハクシヨウという馬だった。このハクシヨウには実は初代がおり、ダービー馬となった二代目ハクシヨウに負けずとも劣らない名馬であった。その初代ハクシヨウは二代目が産まれた1958年に遡ること34年前、1924年に産まれた競馬黎明期に活躍した名馬だった。
初代ハクシヨウは帝室御賞典など戦前の大レースを勝ちまくり、通算35戦17勝という成績を残した。「優駿」(日本中央競馬会の発行誌)が2000年に企画した「プロの目で厳選した20世紀のベストホース100」において、父のコイワヰとともに選ばれているほどの名馬である。
引退後は種牡馬となって、のちに朝鮮の蘭谷牧場で供用されたが、終戦の混乱期に行方不明となり1943年以降の消息は不明という。活躍した産駒はトクタカ(1938年中山大障害・春)程度だったが、その血を引く馬はわずかながら残っており、ハクタイセイ(4代母の父が初代ハクシヨウ)、アイネスフウジン(5代母の父が初代ハクシヨウ)などという懐かしい名前の中に残っている。
二代目ハクシヨウも引退後は種牡馬となったが、活躍した産駒は輩出されず、ホワールウインド(アラブ王冠賞)、ハクラン(名古屋・新春グランプリ、東京盃3着。中央競馬へ移籍後ライフウに改名)などを出したに留まった。そして、現在、二代目ハクシヨウ血を引く馬は存在していない。
ハクシヨウの戦績
デビューから新馬(2馬身半)、オープン(7馬身・レコード)、中山3歳ステークス(4馬身差・レコード)、オープン(1馬身3/4)、東京3歳ステークス(3馬身)と強いレースを見せ、朝日盃3歳ステークスでも2着に5馬身差を付けレコードで制し、旧3歳(現2歳)シーズンは完璧な成績を残して最優秀3歳牡馬に選ばれる。
この後休養に入り、ぶっつけで皐月賞に挑むもシンツバメの11着と大敗する。続くNHK盃もチトセミノルの4着といいところなく負けてしまう。この状態で日本ダービーに挑むことになったが、シンツバメ・チトセミノルの両馬が回避したこともあって、ハクシヨウは1番人気となる。なお、負けた皐月賞・NHK盃ともにハクシヨウは1番人気だった。
続く2番人気は、手薄と見て出走した牝馬チトセホープ。桜花賞で2着の後、4歳牝馬特別・オークスを連勝してこの日本ダービーに連闘で挑んできた。レースは、そのチトセホープが最後の直線で先頭に立ったところをハクシヨウがかわし勝利確実と思われたところ、大外から人気薄(23番人気)のメジロオーが突っ込み並んだところでゴールした。
長い判定の末、ハクシヨウの勝利が確定したが、その差はわずかなものであり「髪の毛1本」とも言われている。ハクシヨウはこのレースをもって引退となった。3歳時の強烈な強さと、皐月賞・NHK盃での不可解な大敗、そして日本ダービーでの復活と直後の引退という破天荒な馬だったが、無事ならば相当な名馬になっていたと思われる。
関係する馬たち
ハクシヨウが負けた皐月賞で勝利したシンツバメの父は、ハクシヨウと同じく日本で7度リーディングサイアーになった昭和の名種牡馬ヒンドスタンである。そして、シンツバメの母シラオキは自身も日本ダービーで2着(1着タチカゼ)となるほどの馬だったが、繁殖牝馬として「シラオキ系」と呼ばれる名牝系を確立するほど成功した。
シラオキは、前年の日本ダービーを勝った快速馬コダマ(シンツバメの兄)の母でもあり、その子孫は大繁栄した。シスタートウショウ(桜花賞)、マチカネフクキタル(菊花賞)、スペシャルウィーク(日本ダービーなどG1を4勝)、そして歴史的名牝ウオッカもシラオキの子孫である。
NHK盃でハクシヨウを負かしたチトセミノルの父は、ブッフラー。シンツバメの兄コダマの父も、ブッフラーである。一年前の日本ダービーの勝ち馬コダマを通じてハクシヨウとシンツバメ、チトセミノルが繋がっているように思えるが、日本ダービーを勝ちそのまま引退したハクシヨウと同じように、シンツバメも皐月賞の後、半年を経たオープンレースで6頭立ての6着(5.4秒負け)なり、直ぐに引退している。
もう一頭のチトセミノルも、ハクシヨウを負かしたNHK盃を最後に引退している。なお、日本ダービーでハクシヨウの2着となったメジロオーは32頭立ての23番人気という超大穴だったが、菊花賞では2番人気と人気を上げ、こちらも2着となっている。その後はオープンで2勝しただけだが有馬記念5着など長く活躍した。
