競馬ブームの立役者
1960年に行われた第27回日本ダービーを制したのは、競馬ブームの端緒となったと言われる人気馬「コダマ」である。無敗の6連勝で皐月賞を勝利して迎えた日本ダービー当日は、コダマ人気により約7万人の観客が集まり4億円以上を売上げたが、これはいずれもそれまでの記録を大幅に更新した大記録だった。
同じ栗田勝騎手、武田文吾調教師というコンビの手による名馬には、戦後初の三冠馬となった「シンザン」がいる。コダマとの比較においては、武田調教師による「コダマはカミソリ、シンザンはナタの切れ味」という文句が有名であるが、ここで並び称されている一方、競馬評論家や新聞記者からの「コダマ」に対する評価は低い。
確かに最強馬と言う括りの中にコダマの名前が出てくることは少ないし、当時を知らない私にしても「人気先行型」というイメージは拭えない。しかし、それは「日ごろ
競馬を観ない人たちが話題にしていた」などといわれる過剰な人気に向けた、コアな
ファン達からのニワカファンに向けた「無知」を嗤う態度からきているものだろう。
しかし、コダマに魅せられて競馬ファンになったという山野浩一も「コダマは天下無敵の大ヒーローではない。早熟で才覚の豊かな馬だったと言うべきだろう」と言っているし、武田文吾調教師にしても、菊花賞を前に「それほど強い馬ではない」と言っている。
ただ、武田調教師にあっては、「コダマにかけられるファンの期待は大きい。実質が名声に相応しければ問題はないが、ややもすればマスコミを通じて名声が実質を上まわる。そしてもし、実質が名声にこたえ得なければその罪は関係者に負わされる。私はそれを恐れる」と言っていることから、馬と関係者を守るために「そんなに強くない」と言っていた側面はあったろう。
コダマの成績
新馬から数えて日本ダービーまで無敗の7連勝、これには阪神3歳S、皐月賞、日本ダービーというG1級レースが含まれており、順調さを欠いた日本ダービーでの1馬身3/4差を除けばいずれのレースも2馬身以上の差をつけた快勝である。特に皐月賞では、重馬場をものともせず6馬身差で楽勝している。
1951年に10戦無敗のままこの世を去ったトキノミノルの再来とも謳われたほどの完璧な成績であるが、人気はそれ以上だった。三冠(それも無敗)を期待するファンのボルテージは、この日本ダービーを勝ったところから菊花賞までが最高潮だったと思われる。
一方で、日本ダービー前から不安だった脚部は良化をみせず、秋初戦を控えた調教を十分に行うことはできなかった。そのためか、菊花賞に向かう休養明け初戦のオープン戦で2着に敗れ、連勝は7でストップしてしまう。続く阪神大賞典も3着となるが、それでもマスコミにおける菊花賞の本命をコダマとする過熱状態は、収まることはなかった。
本番の菊花賞では1番人気に支持されるが、5着に敗れ三冠は成らなかった。暮れの有馬記念にも出走し、さすがに5番人気と人気を落とし、結果もそのとおり6着という寂しいものだった。二冠が評価されコダマはこの年の年度代表馬と最優秀4歳牡馬に選出されたが、期待ほどの成績ではない寂しさと苦しさが残された。
これがもし日本ダービー後、7戦無敗で引退しておれば「幻の三冠馬」や「悲運の最強馬」と言われていたに違いない。そうでなくともこの年の秋を休養にあてていれば、通算成績12戦無敗で引退し、最強馬と言われていたかもしれない。実際、翌年から1度2着になっている以外、大阪杯・宝塚記念など6戦5勝という成績を残している。
時代が違えば
「カミソリ」と称されたコダマの切れは、やはり短距離でこそその実力を発揮できたはずだ。4歳秋の不振は、順調さを欠いた調教や体調不良によるものであろうが、2200m(阪神大賞典)、3000m(菊花賞)、2500m(有馬記念)という距離にも泣かされたのではないか。
2000m以下では13戦11勝、2着2回というほぼ完璧な成績であり、2着2回というのも、日本ダービー明け初戦と、1年休養(途中、出走取消アリ)後のレースである。今のように、初戦から万全の状態で出走し、無理をさせず、そして距離を選んで走る。それだったなら、コダマは短距離を中心にG1を5つ6つは勝っていそうだ。
また逆に2200m以上のレースで勝ったのが日本ダービーだけというのは、ヒーローに相応しい運の持ち主だと思う。そもそも、その出自からして大種牡馬ヒンドスタンの付け馬(おまけ)であるブッフラーという期待されていない父から生まれたというから、胸のすく活躍である。
引退後、コダマは種牡馬として繋養され、初年度から重賞3勝のサトヒカル、2年目には最優秀5歳以上牝馬に選出されたファインローズを輩出する。そして、3年目の産駒から桜花賞を制したヒデコトブキが産まれている。地味な血統の割には素晴らしい成績である。しかし、その後は活躍場は現れず、1976年に腰麻痺のため亡くなっている。
「競馬ブームはコダマの人気から始まった」(山野浩一)、「漸く大衆化の波に乗ろうとした競馬のブームに火を付けたスター」(志摩直人)、「現在の競馬ブームはコダマではじまったといってよいほど、その名声は一世を風靡した」(村上堅三)とその人気は高く評価されている。今に至る競馬人気は、コダマ無しでは有り得なかったのかもしれない。

