第25回日本ダービー馬「ダイゴホマレ」

地方競馬出身

地方競馬出身のダービー馬は、2026年現在で2頭いる。1954年第21回の日本ダービーを勝ったゴールデンウエーブと、そして1958年の第25回日本ダービーに勝利したダイゴホマレである。この2頭の父はともにミナミホマレであるが、その父ミナミホマレも1942年の第11回日本ダービーを制している。

ゴールデンウエーブは地方競馬で11戦6勝、全日本三才優駿を制しての中央入り(ちなみに地方時代はネンタカラという名で走っており、中央移籍と同時にゴールデンウエーブに改名している。)しているところ、ダイゴホマレも同じく全日本三才優駿を勝利しての中央移籍だったが、その戦績は8戦8勝とゴールデンウェーブを上回るものであった。

期待された中央初戦のオープン戦だったが、惜しくも2着に敗れる。しかしそこからは強い競馬をみせてオープン戦、弥生賞、スプリングSと3連勝し皐月賞に挑むことになる。その皐月賞、1番人気は10戦7勝2着3回という連対率100%のカツラシユウホウ。弥生賞ではダイゴホマレに負けているが、堅実さと名手蛯名武五郎の手腕を期待しての人気だろう。

2番人気となったダイゴホマレだが、結果は3着。勝ったのは人気薄の8番人気タイセイホープで、1番人気のカツラシユウホウはクビ差の2着だった。続くNHK盃でも1番人気カツラシユウホウ、2番人気ダイゴホマレと人気を分け合うが、ここはダイゴホマレが先着し、1着ダイゴホマレ、2着カツラシユウホウとなる。

NHK盃で勝利したにも関わらず、本番の日本ダービーでも1番人気はカツラシユウホウとなり、ダイゴホマレは続く2番人気だった。しかし、結果はダイゴホマレがマイペースの逃げを打ち、追いかけるカツラシユウホウをハナ差振り切って勝利し、日本ダービー馬の栄冠を勝ち取った。

菊花賞とカツラシユウホウ

ダイゴホマレは、残る一つの三冠レース菊花賞で二冠を目指して出走する。しかし、前走のセントライト記念ではノド鳴り(喘鳴症、競走馬の競走能力を阻害する呼吸器疾患)の影響もあって3.3秒差の6着に敗れていることもあり、菊花賞では3番人気と人気を落とす。2番人気が春にしのぎを削ったカツラシユウホウで、1番人気はヒシマサルだった。

ヒシマサルと聞いて、「ミホノブルボンが皐月賞・日本ダービーを勝ったその年にきさらぎ賞、毎日杯、京都4歳特別という重賞を3連勝し話題となったヒシマサル(外国産馬のため、クラシックに出ることができず、ミホノブルボンとの対決は叶わなかった。)」を思い出す人もいるだろう。

もちろん、この2頭のヒシマサルは別の馬であり、この菊花賞で1番人気になった初代ヒシマサルは重賞(安田記念)を勝ち種牡馬になっているため、通常は同じ名前を付けることはできない。そこで、2代目ヒシマサルのときには、先に海外で「HishiMasaru」として登録した後に輸入することで、同じ名付けを実現することができたという。

その菊花賞は、4番人気のコマヒカリが勝ち1番人気のヒシマサルは良いところ無く5着、ダイゴホマレは8.3秒もの大差で最下位となる。やはりノド鳴りの影響だろう。カツラシユウホウはまたしても2着となり、これで3冠レース全て2着という珍記録を達成する。(のちに天皇賞・春でも2着になっている。)

なお、アメリカの三冠では1978年にアリダーが同様に3冠全て2着となったが、この時の1着は全てアファームド(3冠馬)であり、強い馬が上に1頭いたことから仕方ない部分もある。カツラシユウホウは3冠全て違う馬の2着となっているところが珍記録といえる。カツラシユウホウの通算成績は25戦13勝、2着11回で、ほかには5着に1度なっただけという堅実さであった。

エピソードなど

ダイゴホマレの地方競馬での成績は8戦8勝だが、2着との着差は合計42馬身とすさまじいもので、5戦目の1000m戦で9馬身つけて負かしたオータジマが、後に中山大障害、東京障害特別、NTV盃を勝っている。中央に入ってからの成績は16戦6勝と振るわないが、ノド鳴りになるまでの8戦では初戦の2着と皐月賞の3着以外は全て勝っており(6勝)、無事であれば最強クラスの成績を残していただろう。

ライバルだったカツラシユウホウに日本ダービーで騎乗していた蛯名武五郎騎手は、関東では保田隆芳と共に1930年代から50年代を代表する二枚看板であったが、ダイゴホマレに騎乗する伊藤竹男(旧姓勝尾、ダービージョッキーとなった年に婿養子となって伊藤姓に)に慕われ、騎乗の秘訣を伝授する。

そして、いつしか「竹男、おまえは若いのに乗れる奴だが、すこしムチで叩きすぎる。馬というのは、叩くより押す方が伸びるもんだ。」「最後の正念場では、叩いて駄目なら押せ、押して駄目なら叩け。」というアドバイスをしたという。

迎えた日本ダービー、ゴール前で竹男騎乗のダイゴホマレと蛯名騎乗のカツラシュウホウは激しい叩き合いとなる。逃げ粘るダイゴホマレの竹男は、カツラシュウホウの蛯名に並びかけられた際にこの言葉を思い出し、鞭を止めて首を押す動作に切り替えた。結果、ハナ差でダイゴホマレが先にゴールした。

既に日本ダービーを2勝、この日本ダービーで勝利すれば3勝目という当時新記録となるはずだった蛯名は「竹男はよう我慢したな。あの時堪え切れずに叩き続けていたら、わしが勝っていただろう。」と後日語っていたという。