PR

第26回日本ダービー馬「コマツヒカリ」

ダービー馬列伝
スポンサーリンク

父トサミドリの兄弟制覇

1959年(昭和34年)5月24日に東京競馬場で行われた第26回日本ダービーは、第24回日本ダービーの勝馬ヒカルメイジの異父弟であるコマツヒカリが優勝した。日本ダービーは兄弟制覇となるが、兄ヒカルメイジの父ボワルセルが英ダービーを勝っているのに対し、弟コマツヒカリの父トサミドリは日本ダービーで7着と明暗が分かれている。

ただ、トサミドリが弱かったのかというとそうではない。トサミドリは皐月賞、菊花賞の二冠を含む通算31戦21勝、11連勝やレコード勝利10回という素晴らしい成績を残した名馬で、1984年にはJRA顕彰馬にも選出されている。もちろん、日本ダービーでも断トツの1番人気であった。

しかし、調教でのオーバーワークや競いかけられて思わぬ大逃げになったレース展開などもあり7着と大敗する。勝ったタチカゼは19番人気という超のつく大穴で、単勝55,430円・複勝9,230円は日本ダービーのみならず八大競走史上最高配当として今なお破られていない記録である。

日本ダービーで着外となった父(トサミドリ)から生まれた仔(コマツヒカリ)が、日本ダービーを制した唯一の例というが、断トツの1番人気(単勝1.4倍)で勝てなかった父の無念を、その仔が3番人気(単勝13.4倍)で勝利して果たす、それも「重馬場」に助けられての勝利というから、やはりダービーを勝つには強さだけではなく「運」が必要なのだろう。

なお、この年は4月10日に皇太子明仁親王(今の上皇陛下)と正田美智子さま(今の上皇后陛下)が結婚されいわゆる「ミッチー・ブーム」が最高潮となり、6月25日には昭和天皇・香淳皇后両陛下が後楽園球場の巨人対阪神戦を観戦した天覧試合で、巨人の長嶋茂雄が阪神の村山実からサヨナラ本塁打を打った、そんな時代だった。

デビューから日本ダービーまで

コマツヒカリのデビューは東京競馬場の新馬戦、芝1200の良馬場で行われたが、このレースで4番人気7着という不甲斐ないレースをする。続く同じ条件のレースで5番人気3着と少し成績を上げ、3戦目となる未勝利戦では1番人気となるが3着に敗れる。

ようやく年が明けた4戦目、中山での芝1100未勝利戦(不良馬場)で勝ち星をあげることができた。その後の特別戦2戦はどちらも稍重馬場ということもあり、3着、1着として順調に2勝目をあげる。そして弥生賞で重賞に初挑戦すると、良馬場にもかかわらず5着(2番人気)と善戦する。

続いて4歳中距離特別で2着(1番人気)、オープン戦で1着(1番人気)、NHK杯でも3着(3番人気)と一定の成績を残し、日本ダービーへ出走する。1番人気は皐月賞を勝ち、さらにNHK杯でも優勝したウイルデイールで、コマツヒカリは3番人気だった。あとは、不良馬場が苦手なウイルデイールと、騎乗する古山良司騎手が「雨が降ったら勝つ」と宣言していたほどの重馬場巧者コマツヒカリ、天気がどうか。

そして本番数日前から雨が降り続き、古川騎手は「夢のよう。内心で小躍りしながら【もっと降れ、もっと降れ】と叫んだ。」というが、その願いのとおり当日は不良馬場となった。レースはウイルデイールが馬場に苦戦する一方、コマツヒカリはすいすいと中段から進出し、直線では他馬が避ける内側を付いて鋭く伸び、カネチカラに2馬身半の差をつけ優勝した。

ウイルデイールは馬場が響いたのか、15着という大敗を喫する。コマツヒカリが日本ダービー後24戦して2勝(東京杯、オープン)しかできなかったのに対し、ウイルデイールは12戦4勝(京都杯、クモハタ記念、大阪杯、オープン)という結果からも、この日本ダービーが良馬場であったならウイルデイールが勝っていた可能性は高かっただろう。

不運のライバル

コマツヒカリが「運のいい馬」として日本ダービーに勝利したのとは逆に、ライバルだったウイルデイールという馬はいくつもの「不運」に見舞われた馬だった。大目標だった日本ダービーが苦手の重馬場になり大敗を喫してしまったのはもちろんだが、戦績を見てみるといくつもの不運が見えてくる。

その前に、まずはウイルデイールの戦績を詳しくみてみよう。初戦の新馬戦は1番人気に応えて見事1着。そこから特別戦を3戦して2着、1着、1着としてクラシックの有力馬として認識される。トライアルのスプリングSで2着となり皐月賞を迎えると2分3秒3のレコードタイムで優勝する。すると、続くNHK杯も勝ち日本ダービーに挑む。

ここまで9戦して5勝、2着4回という連対率100%、抜群の成績である。本当なら、日本ダービーで勝っていただろう。そう、雨さえなければだ。しかし現実は厳しく、数日前から降り続けた雨により、日本ダービー当日の馬場はドロドロの不良馬場だったという。15着というあまりの大敗からも、いかにウイルデイールが雨を苦手としていたかが分かる。

その後は京都杯、クモハタ記念、大阪杯などを勝つも、天皇賞(春・秋)では勝てず4着、3春という成績であり、春のクラシックで主役だったほどの活躍はできなかった。これは日本ダービーでの大敗が尾を引いたのもあると思われるが、距離の壁に泣かされたことも原因だろう。

皐月賞をレコード勝ちしていることからも分かるように、ウイルデイールは中距離(2000m)ではほぼ無敵であり、今のような競走体系ならきっと天皇賞(秋)は勝てていたはずだ。これも不運の一つである。他にもクモハタ記念(1着)の1週後にAJCC(5着)に出走、その2週後に金杯(2着)などというローテーションで走らされたり、有馬記念も故障により出走取消となっている。まさに不運のライバルだった。

著者プロフィール
このブログの運営と記事作成をしています。

Diomed(ダイオメド)といいます。1969年生まれのおっさんです。
競馬や馬券のこと、その他ギャンブルにまつわる話を思いつくままに書いています。

Diomedをフォローする
ダービー馬列伝
スポンサーリンク
タイトルとURLをコピーしました