名門に入厩した良血馬
1952年の第19回日本ダービーを制したのは、大東牧場で産まれた「クリノハナ」である。馬主は全日本馬主協会連合会(現、日本馬主協会連合会)の初代会長などを務めた「ミスター・ケイバ」こと栗林友二で、馬主として既に第12回(1943年)日本ダービーを無敗の名牝クリフジで勝利している。
クリノハナを生産した大東牧場もこの栗林友二の持ちものであって、日本においてオーナーブリーダーという存在を確立した人物と言われている。なお、息子である栗林英雄も馬主となっており、悲運の名馬として知られるライスシャワー(1992年菊花賞、1993年天皇賞・春、1995年天皇賞・春)の馬主として知られている。
クリノハナの父プリメロは、大レースに強いと評判だった当時の日本を代表する種牡馬で、それまで既にミナミホマレ、タチカゼ、クモノハナと既に3頭もの日本ダービー馬を輩出していた。母オホヒカリは競走馬として10勝、1947年の天皇賞・秋で2着するなどの活躍をした強い牝馬だった。なお、ライスシャワーはこのオホヒカリの4代孫である。
皐月賞を制し日本ダービーへ
関東の名門・尾形藤吉厩舎に入厩したクリノハナは、3月10日という遅いデビューとなった。その初戦となる新馬戦では2番人気ながらも優勝し、そこから一か月の間に3連勝して皐月賞に挑む。皐月賞では4番人気とだったが、レースでは後方待機策から最後の直線で一気に追い込み、同厩舎の牝馬・タカハタとの競り合いをクビ差制して優勝する。
次は最大の目標となる日本ダービーだが、その前に本番を見据えたオープン戦で今までの後方一気ではなく先行策を試すこととなった。ここで牝馬レダの3着となり、初の敗戦を喫してしまう。この敗戦が響いたのか、迎えた日本ダービーでは皐月賞馬にもかかわらず3番人気となる。なお、1番人気は皐月賞で叩き合ったタカハタであった。
なお、この年の日本ダービーは強い牝馬が集まり、後に通算26勝するタカハタ、天皇賞に優勝するレダ・クインナルビー、さらにこれらを破り二冠牝馬となるスウヰイスーなどが出走しており、これがクリノハナの人気を落とした原因にもなっている。
日本ダービーを優勝
スタートすると、デビューから手綱を取る八木沢勝美騎手は、前走で試したとおり先行策を取り4番手に付けると、そのまま第4コーナーを迎え直線入り口ではクリノハナが先頭となる。その外からタカハタが馬体を併せてくると、またしても皐月賞と同じ二頭の競り合いとなる。最後はゴール直前でクリノハナがクビ差抜けだし優勝する。
これで前年のトキノミノルに続く、史上5頭目のクラシック二冠となった。なお、皐月賞の勝利がデビュー48日目、この日本ダービーでの勝利が77日目であったが、ともに戦後最短となる記録であった。あとはセントライト以来の三冠なるか期待されるところ、それにしても前途洋々であったはずのクリノハナだったが・・・
秋初戦のオープン戦は、ライバル「タカハタ」との2頭立てのマッチレースとなったが、ここで大差負けを喫する。その後4戦して勝つ事は能わず、菊花賞を目指して調整中に脚を痛め出走を断念する。種牡馬となっても腰ふら(腰麻痺)となるなど人気を落とすも、3頭の天皇賞馬を輩出し、長距離に強い内国産有力種牡馬の1頭となった。不思議な馬だった。

