中山巧者、中山の鬼「マツリダゴッホ」

有馬記念の穴馬といえば

私が競馬を始めた1989年の有馬記念を勝ったのは、柴田政人騎乗のイナリワンだった。オグリキャップ、スーパークリークと並び「平成三強」と言われた、地方競馬出身の「野武士」イナリワンである。同年の天皇賞・春と宝塚記念という両G1レースをイナリワンが勝った時に乗っていた当時デビュー3年目の武豊は、この年の有馬記念ではスーパークリークに乗って2着だった。

翌1990年の有馬記念は、オグリキャップが武豊を乗せ引退レースで勝利を収めた、あの伝説のレースである。競馬を始めてからの2年に亘る私の有馬記念は、同じ年(1969年生まれ)の武豊を中心にドラマチックな展開を見せた。どちらも、これぞ競馬と言った素晴らしいレースだった。

3年目となる第36回(1991年)の有馬記念の勝ち馬は「あっと驚く」ダイユウサク(14番人気/15頭)、そしてその翌年1992年の勝ち馬が、こちらもビックリのメジロパーマー(15番人気/16頭)だった。次の1993年は、これまたドラマチックだった田原成貴が騎乗したトウカイテイオーの1年振りの大復活である。

こんな感じで、私の最初の5年間の有馬記念はドラマチックなレースとそこに挟まれた2年間の大穴というジェットコースターのような構図だった。次の年からは、ナリタブライアンの強いレースだったり、シンボリクリスエスが連覇したり、ディープインパクトが勝ったり負けたりと印象的なレースが続いたが、概して人気どころで決まっていた。

しかし、ディープインパクトが前年の雪辱を果たした2006年の翌年、有馬記念は久しぶりに9番人気の穴馬で決まる。その2007年の有馬記念の勝ち馬こそが、この記事の主役「マツリダゴッホ」である。9番人気と一応の一桁人気ではあるが、単勝支持率でみると15番人気だったメジロパーマーより低い。

有馬記念優勝馬の最低支持率ランキング
1位 ダイユウサク   0.6% 14番人気(1991年)
2位 マツリダゴッホ  1.5%  9番人気(2007年)
3位 メジロパーマー  1.6% 15番人気(1992年)
4位 ストロングエイト 1.8% 10番人気(1973年)
5位 メジロデュレン  3.1% 10番人気(1987年)

マツリダゴッホ

有馬記念を勝った馬による「ダサい名前ランキング」があれば、必ず上位にくるであろうと思われる「マツリダゴッホ」。いや、上位どころか控えめに言ってもベスト3には入りそうなくらいダサい名前ではある。そう思って歴代勝ち馬を眺めてみたら、申し訳ない、断トツでダサさナンバーワンでした。

まずは冠名の「マツリダ」がいけない。どれだけかっこいい言葉を続けても、ダサくなる魔法の言葉だ。ちなみに、父は泣く子も黙る大種牡馬サンデーサイレンスであり、マツリダゴッホはそのラストクロップであるが、もし父から名前を取ったらマツリダサイレンスかサンデーマツリダとなる。やっぱりダサい。

そんなマツリダに付けた「ゴッホ」というのがまた酷い。この「ゴッホ」は言うまでも無く「ひまわり」などで有名な世界的画家「フィンセント・ファン・ゴッホ」からきているのだが、この「ゴリラのウッホウッホ」を思い起こさせる「ゴッホ」という響きが、マツリダと相乗効果を生んで他を寄せ付けないダサさを演出している。

しかし、そんな飾らない名前には親しみを感じた人も多かったのではないだろうか。最近の有馬記念の勝ち馬でいうと、リスグラシューとかエフフォーリアなんていう舌を噛みそうでまた意味もよく分からない馬たちが多いなか、マツリダゴッホは馬の名前につけるところは意味不明ながら「祭りだ」とか「ゴッホ」という言葉そのものは理解できるところもいい。

ちなみに、リスグラシューはフランス語で「優美な百合」を意味する「lysgracieux」から、エフフォーリアはギリシャ語で「至福の感覚」を意味する「Efforia」からきている。意味も響きも高貴だなぁ。一方のマツリダゴッホのマツリダは、馬主の高橋文枝が使っていた冠名であるが、当初「ハッピー」を使用していたところ、これといった活躍馬に出会えず「マツリダ」に変えたという経緯がある。

その意味は夫である高橋重機有限会社の社長、高橋福三郎が祭り好きでありかつお祭り男と言われていたところからきている。そもそも高橋文枝が馬主になったのは、夫である福三郎が「馬が購入できるほど馬券を買う人」のため、その馬券購入を控えさせるために馬主となっていたという。名前もエピソードも高貴とは程遠いが、親近感が湧くねぇ。

デビューから3歳クラシックシーズン

父サンデーサイレンス、母ペイパーレインの間に産まれたマツリダゴッホは、身体のバランスの良さや筋肉の付き方などから牧場では期待された1頭であり、特別メニューがあてがわれる程だった。しかし、牧場での交流試合では4頭立てでぼろ負けしたという。しかし、その後は順調に成長する。

デビュー戦は、2005年8月21日の札幌競馬場での新馬戦(芝1800メートル)だった。蛯名正義が騎乗して3番人気という評価だったが、5番手追走から捲って先頭に立ち直線では突き放すという強い内容のレースをみせ、7馬身差をつけて楽勝する。

続く重賞初挑戦となる札幌2歳ステークス(G3)では、アドマイヤムーン次ぐ2番人気だったが、スタートで出遅れ後方を追走することになる。そこから追い上げるもアドマイヤムーンの6着に敗れ、さらに後に捻挫をきたして長期休養にはいる。

翌2006年3月12日の条件戦で復帰して勝利を収めると、皐月賞は諦めて日本ダービーを目標に据えてダービートライアル青葉賞(G2)に出走する。アドマイヤメインに次ぐ2番人気となるが、またしても出遅れて精彩を欠き4着に敗れてしまい、日本ダービーに出走することは叶わなかった。

放牧を挟んで条件戦(1000万下)に出走して3勝目を挙げ、クラシック最後の菊花賞を目指しトライアルであるセントライト記念(G2)に出走する。3番人気に推されるも最終コーナーで躓いて前の馬に接触して落馬してしまい、菊花賞には参戦できず結局クラシックには出走することができなかった。

第52回有馬記念までの戦績

菊花賞後に条件戦(1600万下)で2着、1着として遂にオープン馬となり、4歳を迎えたマツリダゴッホは中山競馬場でのAJCC(Jpn2)を勝利し、続く日経賞(G2)でも3着と好走する。ここまでデビューからの5勝は札幌2勝、中山3勝という偏り方であった。

次走、G1初出走となる春の天皇賞では5番人気となるが、メイショウサムソンの11着と大敗する。そこで、2勝を挙げている札幌競馬場での札幌記念(G2)に出走し1番人気になるも、同期のフサイチパンドラの7着に敗れてしまう。大敗が続いたが、勝利したAJCCと同じ中山の2200mオールカマーに出走すると1番人気に支持される。これに見事勝利して、重賞2勝目を挙げる。

G1の2走目となる天皇賞・秋では初の東京コースということもあり、8番人気と人気を落とす。また結果も15着と振るわなかった。ここまでG1は2走してともに大敗であり、ファンの間ではG1では少し力が足りないという認識であり、また良績が中山競馬場に集中しており「中山専用機」といったイメージであった。

天皇賞・秋での大敗を受けてJCは自重し短期放牧することになり、得意の中山でのAJCCの連覇を目標とすることになったが、帰厩した姿を見た国枝調教師はマツリダゴッホの本格化した身体と、あまりの状態の良さから有馬記念出走を提案する。それでも、あくまでAJCC連覇への前哨戦という位置づけだったという。

第52回有馬記念の人気は、メイショウサムソンが3.0倍で1番人気、ロックドゥカンブが4.4倍で2番人気、ポップロックが6.0倍で3番人気、ダイワスカーレットが6.1倍で4番人気、ファン投票1位のウオッカが8.3倍で5番人気だった。ファン投票19位のマツリダゴッホは9番人気で、オッズは52.3倍だった。

第52回有馬記念

2007年12月23日に行われた第52回の有馬記念(GI)は出走頭数(16頭、フサイチパンドラが出走取消して出走は15頭)より出走馬のG1勝利数が多いという「超豪華メンバー」と言われ、5番人気までが単勝オッズ10倍を切る混戦だった。その5頭の戦績などは次のとおり。

1番人気(3.0倍)メイショウサムソン
石橋守騎手で日本ダービーを制覇後、天皇賞・春を勝ち、宝塚記念で2着(1着アドマイヤムーン)、天皇賞・秋を武豊騎手に乗り替わって勝利し、JCで3着(1着アドマイヤムーン)となる。

2番人気(4.4倍)ロックドゥカンブ
南半球産まれの遅生まれの馬だが、デビューから4連勝(新馬、マカオJCT500万下特別、ラジオNIKKEI賞、セントライト記念)して、菊花賞に挑み3着(1着アサクサキングス)という成績。

3番人気(6.0倍)ポップロック 宝塚記念3着、天皇賞・秋4着、ジャパンカップ2着
4番人気(6.1倍)ダイワスカーレット 桜花賞、ローズS、秋華賞、エリザベス女王杯と4連勝中
5番人気(8.3倍)ウオッカ 桜花賞2着、日本ダービー1着、宝塚記念8着、秋華賞3着、JC4着

確かに凄いメンバーであり、いくら「中山の鬼」であってもマツリダゴッホに出る幕はなさそうだ。他にも、G1を5勝しここが引退レースとなるダイワメジャー、外国G1優勝のコスモバルクやデルタブルースなど、多士済々のメンバーだった。

ダイワスカーレットがハナを奪うが、スタンド正面前に入るコーナーでチョウサンがハナを奪い、1000mの通過が60秒台というスローペースになる。前からレースをすると思われた1番人気のメイショウサムソンは後ろ目に位置することとなった。そのまま大きな動きがないままレースは進み、第3コーナー直線でウオッカとメイショウサムソンが仕掛けるが、外を回らされたうえそのまま失速する。

ダイワスカーレットがバテたチョウサンを追い抜き先頭に立ち、そのまま押し切ろうとするが、マツリダゴッホが内側の経済コースを突いて進出すると、ダイワスカーレットを捉えて先頭に立ち、そのままゴールする。2着にはダイワスカーレット、3着には前目につけていたダイワスカーレットの兄ダイワメジャー。

単勝5230円は、1991年ダイユウサクの13,790円に続く有馬記念史上2位の高額配当で、馬単・3連単・3連複は有馬記念史上最高配当だった。(3連複と3連単は2008年に更新された)マツリダゴッホを管理する国枝栄調教師は、レース前「今年はインフルエンザが大はやり。みんなゴッホゴッホと言っていた」とサイン理論によるマツリダゴッホの優勝を予告していたという。

中山マエストロ

有馬記念を勝利したマツリダゴッホは、当初予定していたAJCCではなくもうひとつ高みを目指し海外遠征の計画が立てられた。ドバイシーマクラシック、香港でのクイーンエリザベス2世カップというもので、それらを経て日本へ戻り宝塚記念に挑むという盛大なものである。

しかし、日本における馬インフルエンザの流行の影響によりドバイへの遠征は見送られた。「インフルエンザが大はやり。みんなゴッホゴッホ。」などというサインが効いていたのかどうかわ分からないが、有馬記念のサイン馬券のキーとなるインフルエンザが、ここでは馬インフルエンザという形に変わり、マツリダゴッホ陣営の夢を砕くことになった。

ドバイの代わりとなるクイーンエリザベス2世カップへの前哨戦として日経賞に出走し、1番人気に応えて快勝する。やはり中山競馬場での強さは格別であり、それはファンも良く知るところであって、「中山の鬼」「中山巧者」「中山マイスター」という二つ名は完全に定着していた。

続く香港でのクイーンエリザベス2世カップの成績によっては、凱旋門賞への参戦を含めた欧米への遠征も考えていたところであったが、香港でのレースでは折り合いを欠き3番人気での6着に敗れてしまう。宝塚記念も見送りとなり、以降は引退まで国内でのレースに専念することになる。

その後は、引退まで2年弱の間で9戦して2勝しかできなかった。得意の中山での有馬記念も2度出場してともに7着と振るわず、G1ではJCの4着が最高成績だった。しかし、その2勝がともに中山競馬場のオールカマ―であり、これは史上初めてとなるオールカマー3連覇という偉業であった。

この3連覇は、金鯱賞3連覇のタップダンスシチー、函館記念3連覇のエリモハリアーなどに次ぐ史上5頭目となるJRAの同一平地重賞3連覇であり、スピードシンボリ、シンボリルドルフに続く3頭目となる、史上最多タイとなる中山競馬場の平地重賞6勝という記録となる勝利でもあった。

中山競馬場ではめっぽう強く、中山マイスターなどとも言われたマツリダゴッホ。マイスターとは巨匠や大家(たいか)という意味のドイツ語であるが、より芸術的な意味をもつイタリアの「マエストロ」の称号を彼には送りたい。「祭り」の雰囲気からもイタリアが似合う。しかし、ゴッホはオランダ人なんだよなぁ。

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