強いのか弱いのか・・・
1950年(昭和25年)に行われた、この第18回よりレース名が「東京優駿競走(日本ダービー)」というように「日本ダービー」という副称が付けられるようになった。そして第31回(昭和38年)から、「東京優駿 (日本ダービー)」となり今に至っている。
そんな「日本ダービー」という名となった最初の記念のレースを勝ったのは、「クモノハナ」という重馬場の鬼だった。皐月賞にも優勝した二冠馬であり、三冠最後の菊花賞でも2着となった「準三冠馬」であって、強いには間違いがないが、重馬場に助けられた感が拭えない。
皐月賞もダービーも不良馬場であり、その勝利は「水かきを付けているように重馬場が上手」と言われたクモノハナの重馬場特性によるところが大きかったように思える。ちなみに三冠を狙った菊花賞は良馬場(2着)で行われており、この菊花賞も不良馬場であったなら、クモノハナが三冠を達成していた可能性はかなり高かっただろう。
それでも良馬場の菊花賞でも大敗どころか、ライバルであったハイレコード(皐月賞でクモノハナの2着など、常にクモノハナを上位を争う好敵手だった。)にアタマ差負けただけであり、重・不良馬場でしか走らないという訳でもなかった。
しかし、初勝利が8戦目というダービー馬の初勝利までの最多出走記録を持っていたり、菊花賞以降も大レースには出走せずに10戦3勝、それも3勝のうち2勝は稍重・不良という成績であり、強いのか弱いのかよく分からない馬だった。クラシック期間にちょうど馬の力のピークがきて、しかも得意の重・不良という馬場にも恵まれたラッキーボーイのようだ。
デビューから日本ダービー制覇まで
戦前・戦後の競馬会をけん引した名門小岩井農場だが、GHQによる財閥解体の影響で1949年に競走馬生産の中止に追い込まれる。クモノハナは、その小岩井農場における最後の競り市に出された6頭目にして最後のダービー馬である。
第11回(1942年)ミナミホマレ、第16回(1949年)タチカゼという2頭の日本ダービー馬を既に輩出し、大レースに強いと言われた名種牡馬プリメロを父に持ち、祖母には帝室御賞典優勝馬ロビンオー(繁殖名マンナ)がいる良血馬だったクモノハナは、雄大な馬格も相まって、その競りで2番目の高額馬となるほどの期待馬だった。
しかし、脚が曲がっていた上、蹄の形が左右不揃いだったため、調教師の鈴木勝太郎がデビュー前に騎乗依頼をしていた中村広騎手、二本柳俊夫騎手などといった花形騎手には騎乗を断られてしまう。迎えた初戦の新馬戦は、田中朋次郎騎手が騎乗し3番人気で6着となる。
次走からは「近所にいた」という理由だけで橋本輝雄騎手に乗り替わるも、なかなか勝てない日々が続き、ようやく8戦目にして初勝利を上げることができた。それが1950年4月9日のことであったが、その翌月に皐月賞を勝ち、翌々月に日本ダービーを勝って2冠馬になるなど、誰が予想できたろうか。
橋本騎手は代役で乗ったカイソウで第13回(1944年)日本ダービーを勝ち、ひょんなことから騎乗することとなったクモノハナでも日本ダービーを勝つという幸運の持ち主だった。なお、長らく日本ダービーには「一度勝った騎手は二度と勝てない。」というジンクスがあったが、それを見事に打ち破る「日本競馬史上初のダービー2勝騎手」であった。
エピソードとダービー後
初勝利まで8戦という最多出走記録を持つクモノハナだが、初勝利から2戦を3着(優勝戦)、2着(オープン)とその後も微妙な成績を残し、1勝馬にして皐月賞に出走する。10頭立ての4番人気だったが、不良馬場が味方したのか、前走で負かされていたハイレコードに4馬身差という乗っていた橋本騎手が「アッとおどろくような勝ち方」と言う強さで勝利する。
そして迎えた日本ダービー、今では考えられないが、その前夜に橋本騎手はNHKのラジオ番組「二十の扉」に出演し「クモノハナで日本ダービーを勝つ」と勝利予告をしたという。この時、雨が降っており得意の重・不良馬場が見込めることもあっての強気発言だったというが、当夜は気になって寝られなかったという。
当日は想定どおりの雨天・不良馬場となったこともあってか、当時最多となる26頭の出走があるなか、クモノハナは単勝オッズ4.8倍の1番人気に支持される。レースはクモノハナが7~8番手を進み、最終コーナーで抜け出した6番人気のキミガヨ、13番人気のアンダーフェアを直線半ばで捉え、キヨガミに1馬身差をつけて見事優勝した。
2冠を制覇したクモノハナは、菊花賞でセントライト以来2頭目となる三冠に挑む。夏の休養から復帰後3戦2勝という成績で出走した菊花賞では、50%近い単勝支持率を受け1番人気に推された。レースは先頭に立ったハタカゼを追ったクモノハナが残り200m付近で先頭に立ち、橋本騎手は勝利を確信する。
しかし、後方待機していたライバルの浅見国一騎乗のハイレコードが猛然と追い込み、アタマ差かわされたところがゴールだった。得意の重・不良馬場ではない良馬場でも強いレースを見せたクモノハナだったが、惜しくも三冠にはアタマ差だけ届かなかった。その後は10戦3勝と振るわず、種牡馬となっても期待ほどの活躍はできなかった。1959年に廃用となり、以後の消息は不明という。