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競輪に思う「セミ八百長」という概念

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競輪独自の「ライン」

先日から読んでいる白川道の「捲り眩られ降り振られ」という競輪がテーマのエッセイを読んでいると、こういう話が出てくる。これは競輪独自の「ライン」という概念と、同郷や同期、先輩後輩といった人間関係が競技に及ぼす影響の話である。(ただし、私は競輪はそこまで詳しくないので、間違いがあっても許してくだされ。)

競輪にはラインという概念があり、例えば9車でのレースの場合、9人がそれぞれ一人が独立して走るのではなく、2~4人あたりがひとつのまとまりとなってレースに挑むという戦法を使う。

これは、先頭が風圧を受けて不利となり、その直後につけたものが有利という競輪独自の状況からくるもので、さらには3番手がその後ろにつけて、3人で一組の「ライン」を構成してレースが進められるのが基本である。よって、3人・3人・3人という3組のレースになることが多い。

その3人で構成するひとつのラインは、先頭に先行タイプ、2番手、3番手に追い込みタイプがくるのが基本で、特に有利となる2番手は「番手」と呼ばれる。そして、この番手が先輩や師匠である場合、先頭はその先輩のために機関車となって自分が勝つためではなく、先輩が勝つために最後に自分はバテて大敗を覚悟の上、全速で駆ける。

自分を捨てて走る

そして、3番手は後ろからくる別のラインが捲るのを邪魔する。内を閉めて通さないようにし、かつ外からくる場合はブロックする。さらに、自分は空いた内も突かずに3番手をキープする。

そうやって、番手の先輩が先頭の後ろで風圧を受けず楽に走って脚を溜め、後ろからの捲りも防いだ状態で最後の直線を迎えると、番手の先輩はかなりの確率で勝つことができるという寸法である。

しかし、本来はレースに参加した全員が勝ちを目指すのが本当であり、よって最近(とはいっても結構前の話のようだが。)は、こういう戦法はとらずに、皆が自分のために走っているというのだ。

先頭はあくまで自分が勝てるような速度をキープし、番手も3番手も前の車を守るよりは、自分が楽に足を溜められることを念頭に走る。確かにこれが本来の姿であるが、先輩を勝たせるために自分を捨てて走る先頭や3番手の走りが泣けてくるという話だ。

もっと極めてから

このラインという概念が、競輪の敷居を高くし(レベルが高くて近寄りがたいの意で使っている。誤用とされているようだが、私はこの言い回しがしっくりくる。)、新しいファンが増えるのを阻害しているようでもあるが、このラインこそが競輪の醍醐味という意見も多い。

そして、何といってもこういう「自分は勝たなくてもいい」とか「誰かを勝たせるために出る」という行為がいかにも胡散臭く、八百長の臭いも感じるため、やっぱり競輪が好きになれないという感覚を持っている人も多いと思う。

こういうのはやはり「セミ八百長」にはならないのだろうか。競馬でも海外なんかでは、同厩の馬を逃げさせて、追い込み馬を有利にするといったこともされているようだが、この場合、同厩の馬はまとめて1頭とカウントすると聞いたのだが、これなら馬券的には整合がとれる。

私はまだ競輪を始めて間が無く、このあたりの感覚は、玄人と素人のちょうど間くらいのため、どっちとも言えない。もっと極めてからもう一度考えてみたい。

著者プロフィール
このブログの運営と記事作成をしています。

Diomed(ダイオメド)といいます。1969年生まれのおっさんです。
競馬や馬券のこと、その他ギャンブルにまつわる話を思いつくままに書いています。

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