最多勝利新人騎手
現調教師で元騎手の松永幹夫。1986年にデビューし、当時としては史上3位(1960年の加賀武見58勝、1981年の小屋敷昭41勝に次ぐ)となる40勝を挙げ、関西放送記者クラブ賞(関西新人賞)を受賞する。甘いマスクとも相まって、人気・実力とも関西をリードする若手のホープと目されることとなる。
しかし、この翌年(1987年)デビューしたある騎手が69勝、27年ぶりに加賀武見の新人最多勝記録を更新し、JRA賞最多勝利新人騎手を受賞する。それが松永幹夫の1年後輩で2つ年下の、後にレジェンドと呼ばれる武豊騎手である。なお、この新人最多勝記録は、2008年に三浦皇成の91勝により破られる。
若手トップの席を奪われた感のある松永だが、決して武豊に引けを取らない成績を続ける。1989年には88勝し、武豊の133勝に次ぐ関西2位(全国4位)の成績を収め、初出場したワールドスーパージョッキーズシリーズでも優勝。この頃、関西では松永と武が女性ファンの人気を二分し、京都競馬場で入場者が14年ぶりに10万人を突破するなどの効果をもたらした。
通算のG1勝利6勝(中央、ほかに地方交流で5勝)の全てが牝馬ということもあり、「牝馬の松永」とも呼ばれた。初のG1勝利は1991年、イソノルーブルでのオークスでの勝利であるが、その勝利に至るまでには紆余曲折があり、口取り撮影で左手を突き上げた松永は、こみ上げてくる涙を抑えることができなかったという。
イソノルーブル
5連勝で桜花賞を迎えたイソノルーブルと松永幹夫。前走の報知杯4歳牝馬特別では単勝1.2倍という断トツの人気に応え、逃げ切りで0.6秒差の楽勝を収めていた。もちろん桜花賞では1番人気に支持されるが、落鉄のまま走った影響もあったか5着に敗れる。
※ 発走地点に向かったところ、右前脚を落鉄が判明する。装蹄師が蹄鉄を装着しようとしたが、イソノルーブルが暴れてしまい装着できない。担当厩務員、調教助手は厩舎に戻って蹄鉄を打ち直すよう要求したが、却下される。発走時刻を過ぎる中、JRAは蹄鉄の装着を諦め、右前脚が裸足の状態で11分遅れて発走した。
このことから「裸足の女王」「裸足のシンデレラ」と呼ばれるようになったイソノルーブルは、松永幹夫とのコンビで次走オークスに挑む。しかし、大外20番枠であること、1975年のテスコガビー以来勝ち星のない逃げ脚質、入れ込みの心配などから、人気を落とす(単勝12.1倍の4番人気)。
また、抽せん馬であることや、距離不安などもあり、私もこの時はイソノルーブルは全く買わなかったのを覚えている。しかし、イソノルーブルと松永幹夫は大外枠から果敢に逃げを打ち、最後の直線でもライバルたちを跳ね除け、ゴールへ向かう。
しかし、桜花賞を勝ち、このレース1番人気となっていたシスタートウショウが敢然と追い込んでくる。そして、この2頭が並んだところがゴールだった。写真判定に持ち込まれるが、勝利を確認した松永はスタンド前でガッツポーズを披露した。結果、ハナ差でイソノルーブルの勝利が確定した。
誰からも慕われる男
「裸足のシンデレラ」と「ミッキー」と呼ばれアイドル的な人気を誇った松永幹夫のコンビは、本当に華があり輝いていた。その後松永は、1996年にファビラスラフインで秋華賞、1997年にキョウエイマーチで桜花賞を制し、史上3人目の牝馬三冠を達成する。その1997年には、キャリアハイの101勝を挙げて全国3位となっている。
その後もコンスタントに勝ち星を挙げ、優秀騎手賞やフェアプレー賞を何度も受賞する。その人物は「爽やか、穏やかで人間味のある人物」と評され、その人気や成績に驕ることのない誠実な人物であり、一般ファンのみならず厩舎関係者、マスコミ関係者にも慕われていた。
関西の大御所、河内洋騎手が引退してから自身が引退するまでの3年間、日本騎手クラブ関西支部長を務めたのも、その人柄を皆から認められていた証拠だろう。まだまだやれそうな38歳という年齢での引退だったが、これは超難関の調教師試験に一発合格し、調教師となるためであった。
引退前年には、ヘブンリーロマンスにより、戦後初の天覧競馬として施行されたエンペラーズカップ100年記念・天皇賞(秋)を優勝する。自身初の牝馬限定以外の中央でのGI勝利であった。レース後、スタンドで観戦する天皇・皇后に向かい、松永はヘルメットを胸に抱えて馬上から最敬礼を行う。
競馬の神様に愛された男
この姿は非常に印象的で、私もシンプルに「かっこいい」と感動を覚えた。「立ち居振る舞いに華がある松永だったからこそ、最高の絵になった」と評する者もおり、これはすべての競馬ファンの気持ちでもある。
騎手としての最終騎乗となった日には、メインレースである阪急杯でブルーショットガンに騎乗し、11番人気という人気薄にもかかわらず勝利する。重賞最終騎乗での勝利は1975年に目黒記念を勝った野平祐二以来2人目の記録であった。さらに最後のレースとなる最終レースでも勝利する。
その勝利がメモリアルとなるJRA通算1400勝となる勝利であり、引退式で挨拶に立った松永は、「自分のところに競馬の神様が降りてきてくれたような気がします」と述べたというが、本当に「競馬の神様に愛された男」だったのだと思う。引退後も調教師として、レッドディザイア、ラッキーライラックなどの名牝を管理し活躍している。
勝負師としてのアクの強さであったり、爆発力やキレのある乗り方をすることは少なく、実績より印象が薄いところはあるが、ファンからの信頼も厚い素晴らしい騎手だった。

