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「四白流星の美男子」一途な「ヤエノムテキ」

競馬
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皐月賞馬になる

私がヤエノムテキを知ったのは古馬になってからだった。初めてその名を聞いたのは平成元年の宝塚記念で、彼は単勝2.5倍の1番人気だった。2番人気は春の天皇賞を勝ったイナリワン。この2頭が単枠指定だったというから、一応は2強という構図のレースだったようだ。

ヤエノムテキは前年の2月にデビュー、ダートの新馬・条件戦を、2着に1.1秒、2.0秒と楽勝したのち、毎日杯で初めての芝に挑戦して4着と善戦、単勝25.2倍(9番人気)という人気薄で次走の皐月賞を勝った。

その後ダービーでサクラチヨノオーの4着、中スポ賞4歳Sをサッカーボーイの2着と強い相手に善戦後、UHB杯、京都新聞杯を連勝し、1番人気で菊花賞を迎える。菊花賞は距離が合わなかったのか、初めてスーパークリークの10着と大敗する。

休む間もなく、鳴尾記念、日経新春杯、産経大阪杯と連戦し、1着、2着、1着という好成績を収める。ここまで1年2ヵ月で12戦。それもG1を3レース含む8レースが重賞で、コースもダートの1700から芝の3000までというから、とにかくタフで速くて強い。12戦7勝、うちG1(皐月賞)1勝、G2を3勝というから、宝塚記念で1番人気になるのも分かる。

意外性の男イナリワン

一方のイナリワンは、地方競馬の大井から東京大賞典を制したのち美浦に転厩し、小島太を背にすばるSを4着、阪神大賞典を5着と善戦、鞍上をデビュー3年目の武豊に替えた春の天皇賞で、G1をレコード勝ちにて制覇。この宝塚記念でG1連勝に挑む。

結果は武豊騎乗のイナリワンが勝利し、ヤエノムテキは最後方追走から追い上げることなく、7着に沈んだ。ちなみに、この宝塚記念のファン投票1位はこのヤエノムテキであり、この時、人気・実力とも彼がNo.1だったのだ。

レース後、私は勝ったイナリワンや売り出し中の武豊より、負けたヤエノムテキが好きになった。「四白流星の美男子」と言われたその姿、パワーと速さを兼ね備えた鋼のような身体は当然として、調教もスムーズに行かないという気性の荒さもまた良い。まさにイケメンの荒武者である。

夏にゆっくり休養して、秋は王道を歩み時代の王者になってほしい。と思っていたが、ここから競馬を始めた私は知らなかった。この時、この時代の真打ちとも言える「平成の3強」のうち、2頭が休養していたことを。

平成の3強とヤエノムテキ

3強のうち1頭は宝塚記念で負けたイナリワンであり、残る2頭というのが誰もが知る名馬、オグリキャップとスーパークリークだ。この強い馬たちに囲まれて、ヤエノムテキは王者どころか善戦マンになってしまう。

この年の秋は天皇賞と有馬記念に出走し、スーパ-クリークの4着、イナリワンの6着。その翌年は日経新春杯、マイラーズC、産経大阪杯とG2を3戦するも、2着、3着、3着。3強の毒に冒されたのか、G2さえ勝てなくなってしまった。

次走は得意とする中距離の安田記念。なお、このレースから引退まで、ヤエノムテキの鞍上は西浦から岡部に替わっている。「枠入り不良」とまた気の荒いところ見せながらもいいレースをするが、またしても「3強」のオグリキャップに届かず2着。勝ったオグリはコースレコードだった。

続く宝塚記念では、またしても「3強」のオグリキャップ・イナリワンとの対決となった。昨年、ともに1番だった人気投票とオッズは、人気投票がオグリ、クリーク、イナリワンに次ぐ4番、オッズもオグリ、オサイチジョージ、イナリワンに次ぐ4番人気と、まさに脇役の「善戦マン」になってしまっていた。

結果は、オサイチジョージが2番手から先行という思い切った競馬をして優勝、2着には追い上げたオグリキャップ、我らがヤエノムテキは、それに続く3着という結果だった。

どうしてもほしい2つ目のG1タイトル

G1で強い相手に2、3着と善戦するものの、結局これまでに勝ったG1は皐月賞の1鞍だけ。これでは名馬の仲間には入れないだろうし、種牡馬としての価値も低いままである。なんとか、もうひとつだけでもG1を。というのが、陣営とファンの願いだった。

秋初戦は天皇賞。距離的にも最も勝つ可能性の高いレース。相手は1番人気のオグリキャップ、2番人気のオサイチジョージ。スーパークリークとイナリワンは怪我で出走を断念している。

1000メートル58.2秒のハイペースを、ヤエノムテキは内の好位、オグリとオサイチは外の好位から追走。直線に入る。横一線から最も内をついたヤエノムテキは早めのスパート。外からくるオグリとオサイチは伸びない。突き放すヤエノムテキ。

念願のG1 2勝目

しかし、背後からメジロアルダンとバンブーメモリーが足を伸ばす。特にメジロアルダンの脚色が良く、ヤエノムテキは並ばれてしまう。騎手もファンもありったけの力を使ったのだろう。それに応えたヤエノムテキ。粘りに粘り、クビ差をつけて先頭でゴールした。


続くジャパンカップと引退レースとなった有馬記念は、力尽きたような6着、7着。特に有馬記念では本馬場入場直後に騎手(岡部)を落として放馬。激しい気性から引退式を行わない(不慮の事故を避けるため)と決まっていたヤエノムテキにとって、この放馬は事実上の引退式と言われた。

調教でも手を抜いて走っていたというヤエノムテキ。実はレースも「そこまで力入れるほどのものじゃない。」と軽く走っていたのかもしれない。そんな彼が本当に力を入れていたのは、実はレースではなく恋だったのかもしれない。

シヨノロマンへの一途な思いは有名で、調教する前にはシヨノロマンが現れないか待って、なかなか走り出さなかった。とか、近くにシヨノロマンが来れば、いつも立ち止まっていた。という話だ。一方のシヨノロマンはそんなヤエノムテキを、「ガン無視」していたという…

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Diomed(ダイオメド)といいます。1969年生まれのおっさんです。
競馬や馬券のこと、その他ギャンブルにまつわる話を思いつくままに書いています。

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