オートレースにおける殉職
「殉職 スポーツ」で検索すると、その上位には Wikipediaのカテゴリ(競技中に死亡したスポーツ選手)であったり、若くして亡くなったアスリートなどが表示されるが、普段はあまりクローズアップされない「オートレース」の名前が散見される。
2021年10月30日「佐藤正人」や2021年12月4日「黒岩明」という名前も出ており、ひと月少しの間に2人も亡くなっているという事にも驚いたが、佐藤正人さんんの記事の文中に「オートレースでの殉職者は、2012年1月15日、練習中に転倒し亡くなった坂井宏朱さん以来95人目。」とあるのにはもっと驚いた。
とうことは、続く黒岩明さんは96人目の殉職者ということだ。佐藤正人さんは右側胸部外傷、黒岩明さんは重症頭部外傷が死因とある。本人たちは、危険を承知でその職業を選んでおり、仕方ない部分もあるとは思うが、あまりにその数が多い。
そして、レーサーが死を覚悟しているという事実は、裏返せば危険であることが最初から分かっているということであり、であれば危険回避・防止の措置は執れないのかという気もするのだが。
他の公営競技における殉職
なお、他の公営競技では、競馬(中央、地方合わせて)で40名、競艇では33名、競輪では7名(実際は50名ともいわれている。古い時代の記録がないため。)というから、オートレースでの殉職の多さは際立っている。
また、オートレース場は5場しかなく、中央、地方足して25場の競馬、24場ある競艇、43場ある競輪と比べると極端に少ない。にもかかわらず、殉職者は飛び抜けて多いというから、公営競技のなかでは断トツで危険な競技であることは間違いない。
※ ただし、事故の大部分が昔のダート(今は、開粒型のアスファルトコンクリート)での事故だったという。
同じモータースポーツの代表格と言えるF1(エフワン)では、52名の死亡事故が起こっているが、2000年以降は2014年のジュール・ビアンキの件だけに留まっており、安全対策がかなり図られていることがわかる。
例としては、ヘルメットや耐火スーツ、頭部・首の保護装置など、ドライバーの体を守るための装備を改良したり、クラッシュ時の衝撃を吸収する構造や、運転席周辺の耐衝撃性を高める技術により車両自体を強くするなどである。
防止する技術
金銭的・技術的、そして興行の面などから、F1のような対策を取ることが難しいのは理解できるが、命にかかわることでもあり、対応を検討してほしい。10年以上前になるが、緩衝材を設けたとのリリースはされているが、2021年に先ほど取り上げた2名の殉職者が出ていることから、あまり効果は期待できないようだ。
オートレースだったか、競馬だったか、他の競技だったか忘れたが、衝撃を受けると(空気?)で膨らんで衝撃をカバーするベストのような服とか、おなじような機構でショックを緩和するヘルメットの開発をしているというような記事を見た。
※ 後述する中村政信選手の殉職を機に「頸椎を保護するための専用エアバッグが開発」されたというが、その後も死亡事故は続いており、まだまだ改良の余地はありそうだ。
どの競技も負担重量の定めがあったり、装着によって動きが制限され思うような操作や騎乗ができなくなるといった支障があり、導入は難しいとのことだったが、大切な命を失うことを考えれば、多少レースからダイナミックさが無くなっても仕方ないと思う。
殉職の記録
最後に、詳細な記録が残っている、オートレースで殉職した選手たちの記録を残しておく。
中村政信(1999年12月23日)
「西の横綱」と言われ、SGを2度、G1を6度も優勝している名選手。中村の死はオートレース界に衝撃を与えたという。整備も熱心であったが、人一倍練習もこなし、ファンのために最後まで絶対に諦めない走りをする素晴らしい選手だった。
飯塚オートレース場で行われた第8回JR九州杯争奪戦の優勝戦、先行する花元初美千選手に追突し落車。後続の松尾学選手が乗り上げてしまうという不運な事故により全身を強打。中村は救急車で市内の飯塚総合病院に運ばれたが、死亡が確認された。まだ33歳という若さだった。
橋本 和美(2006年10月13日)
中堅という位置づけの選手だったが、同期の中では最も早く優勝するなど将来を嘱望されていた。人柄の良さとレースへの真摯な態度は有名で、またファンサービスにも積極的であり、先輩レーサーには可愛がられ、後輩レーサーからは兄貴分と慕われていた愛される選手だった。
その日、彼は朝のスタート練習中の事故だった。後輪を空回りさせたと同時に激しくバイクがぶれて落車してしまう。そこへ、10m後ろからスタートしていた阿部剛士選手に激突され受傷。意識不明の状態のまま医療センターへ収容されたが、頸椎損傷により殉職。まだ27歳だった。
浅井孝祐(2007年1月2日)
当時、オートレース界最古参の選手だった。同年1月1日の段階で選手養成所開設以前に選手となった選手は、この浅井と、同じ川口オートレース場所属の富永竹二選手の二名のみであった。
事故は、川口オートレース場の新年開催の初日に起こった。浅井のインをついた岡崎秀二選手が外に流れ、岡崎の後輪と浅井の前輪が接触。浅井はバランスを崩して落車してしまい、浅井の身体は外周方向へ滑って行った。
浅井の後方を走っていた唐鎌大輔選手はギリギリで回避したが、その唐鎌を捲ろうとさらに外に膨らんでいた釜本憲司選手が浅井と接触。頭部付近に接触してしまう。意識不明のまま医療センターへ運ばれたが、重症頭部外傷により殉職した。68歳であった。
2月20日に、川口オートレース場にて「浅井孝祐選手を送る会」が営まれ、関係者、選手、ファンら300名以上が参列した。もう一人の最古参であった富永竹二選手は、事故後強いレースができなくなり、この事故から2週間後、引退した。
永井 秀樹(2009年9月27日)
飯塚オートレース場において、他の選手のスリップ落車に巻き込まれて落車してしまい、さらに後続車と接触して受傷。心肺停止の状態で病院に搬送されたが、頭蓋骨骨折と頭蓋底骨折により死亡した。35歳没。
坂井宏朱(2012年1月15日)
44年ぶりに誕生した女子オートレーサーとして、テレビでも多く取り上げられるなど、注目されるレーサーであった。2011年7月30日にデビューし、8月21日には初勝利をあげている。
翌2012年の1月15日、レース終了後の走行練習に参加したが、ホーム直線を通過して加速した際にバイクが激しく不正振動を起こす。坂井は姿勢を制御できなくなり、落車して滑走し観客防護用の二重フェンスに衝突する。
さらに、運悪く自分のバイクが後ろから同じ方向に滑走し、本人もろともフェンスに激突してしまう。現場のフェンスは事故の衝撃で金網が大きくへこみ、坂井のバイクもフレームの中央から裂けて真っ二つになったほどの激しい衝撃だった。
坂井は重度の全身打撲と頭蓋骨骨折などにより、死亡が確認された。27歳だった。レースデビューからわずか半年の悲劇で、通算成績は22戦1勝、初勝利が生涯唯一の勝利となってしまった。
安全対策
そして、前述の佐藤正人選手と黒岩明選手が、2021年に相次いで亡くなっている。
元SMAPの森且行選手の活躍などにより、スポットライトが当たり注目されているオートレース。人気回復の一端を担うものであるが、その森もレース中の事故により骨盤を骨折、両足に麻痺が残ったり臓器の損傷による脾臓の全摘出など5回もの手術を行う大怪我を負い、2023年4月6日に復帰するまで2年以上の療養生活を送ることになった。
このような事故によってマイナスイメージもついてしまう。是非、他の公営競技も含めて安全対策を今一度検討してみてほしい。
※ レーサーではなく、係員が命を落とすという事態も発生している。

