競輪の衰退
雀聖と言われた阿佐田哲也をして「ギャンブルの王様」と言わしめ、売り上げも公営ギャンブルではトップだった競輪。ちなみに昔は「きょうりん」「きょうわ」と呼ばれたが、1950年の鳴尾事件(約250名が逮捕され、警察の威嚇射撃の流れ弾で1名が死亡した暴動事件。)を揶揄して「狂輪」や「恐輪」などと呼ばれたのを嫌い、「けいりん」と呼ぶようになった。
しかし世論は厳しく、開催縮減などの措置を執らざる得なくなり、そのために運営が立ち行かずいくつかの競輪場が廃止となり、続いては議会で廃止が決定されることが続き、多くの競輪場が廃止となり、遂には競輪のメッカと言われた後楽園競輪場までが休止(廃止ではない。)となった。
後楽園競輪場の売り上げは、競輪全体の売り上げの10%を占めており、競輪界への衝撃は大きかった。ちなみに、後楽園競輪場の跡地は、今の東京ドームであり、地下には競輪バンクがあり、開催も可能な状態であって、これが廃止でなく休止たる所以(ゆえん)である。
その後、競輪は緩やかに衰退していく。1975年には競艇に売り上げを追い抜かれ、その後、現在に至るまで差は開く一方で、今や競輪の売り上げは競艇の半分程度となるまで差が開いている。
衰退の理由
競艇が施設改善や投票の機械化を急ピッチで進めたのに対し、競輪は創設当時の施設をそのままにしているところが多かった。また、場内の雰囲気も気楽に来場できるような雰囲気ではない「鉄火場」で風紀も悪く、投票券も旧来の穴開き式投票券での発売を続けていたことで発送時刻の遅れが恒常化するなど、問題点だらけであった。
またレース運営にも問題があり、特に大きなレースにおいて実力差のはっきりしたメンバーでのレースが多く、「レース前から結果が決まっている」ようなレースばかりとなり、低配当が続出した。このことからクラス分けの変更などに着手するも、今度は実力が拮抗したメンバーとなり失格・落車が急激に増え、かつ配当も穴ばかりとなり、「当たらなくなった」という声が出るようになった。
そのような努力にもかかわらず、1981年以降は売り上げの前年比減が続いた。その後1985年から1991年までは日本経済の好況につられ、売り上げは増加していったが、バブルのはじけた1992年以降は2014年まで減少を続けた。
売り上げ額は、ピーク時の1991年には過去最高となる1兆9,533億円を記録したが、2013年には6,063億円となり、3分の1にまで減少した。その後、2011年から夜9時に始まるミッドナイト競輪、2012年からはモーニング競輪と女性によるガールズケイリンを開始し、いずれも好評であり、2014年以降は僅かながら売り上げは増加傾向にある。
減り続ける売り上げ
しかし、入場者と大レースの売り上げは減る一方であり、2019年には70年以上に渡って上回っていた地方競馬の売り上げを下回り、KEIRINグランプリ(52億円、前年比100.2%)の売り上げも、史上初めて東京大賞典(56億円、前年比121%)を下回ることになった。
ラインの概念をはじめとした競輪独自のルールや、「競輪道」「選手道」などと言われる選手やファンとの不文律など、競輪には素人では手が出しにくい要素が多いが、今はラインなども出走表に明示されるなど分かりやすくなっており、不文律とされるルールはとっつきにくいが、覚えるとその奥深さに魅了される。
私もまだキャリアが浅く、理解力も深くなく十分に競輪を楽しみ車券で遊べてはいないが、実は他のギャンブルより成績は良い(もちろん、勝っては無い。負けがすくないだけ。)ので、次回は私の知っている競輪のことと、車券のヒントなどを書いてみたい。


