改装前の阪神競馬場
改装前の阪神競馬場の最終開催となる1990年の6月10日、その日のメインレースは宝塚記念だったのだが、その日私は現地で観戦していた。レース終了後は、最終日ということで馬場が開放され、名馬たちが走った同じそのコースの上を歩くことができた。
メインの宝塚記念、レース前は9月にアメリカで行われるアーリントンミリオンSへの出走を表明した、オグリキャップの壮行レースという雰囲気で、史上最高の8万6千人というファンで溢れかえり、お祝いムード一色だったのであるが、オグリキャップはオサイチジョージを捉えることができず、惜しくも2着となってしまう。
この時の現場の異様な雰囲気は今も覚えている。私はゴールから離れたスタンドで見ていたため、周りも含めてオグリが差したようにも見え、一瞬は勝ったという安堵感に満たされていたところ、いかにもスタンド全体の雰囲気が異様で、まさか負けたのか?と勘繰り掲示板をよく見てみるとやはり負けている。
誰もが声にならず沈黙が続く。負けたとは言え2着であるし、なんといっても当時は馬単や3連単という馬券もなく、馬券といえば枠連だった時代であり、馬券には影響が無く馬券を取った人間も多かったからか、怒号や罵声が飛び交うようなこともなく思ったよりさらっと流れていった。
オグリキャップは結局、このレース後骨膜炎などの発症が判明し、アーリントンミリオンSへの出走は取り消される。1990年当時、海外では全く通用しなかった日本馬だが、「オグリならひょっとして」という淡い希望がファンの間では少なからずあったところ、それを打ち砕く残念なニュースだった。
海外での日本馬
なお、フジヤマケンザンが日本調教馬として初めて重賞を勝ったのは、その5年後の1995年で、初のG1勝ちは、そこからさらに3年経った1998年のモーリス・ド・ゲスト賞というフランスのGⅠレースを優勝した、シーキングザパールを待たなくてはいけない。
今では考えられないが、当時は日本馬は全く海外では通用しなかった。ちなみに、ジャパンカップはその頃どうだったのかというと、オグリキャップが当時の世界レコードで勝ったホーリックス(ニュージーランド)の2着に激走したのが1989年で、オグリが宝塚記念で負けた1990年はベタールースンアップ(オーストラリア)が勝利している。
翌1991年の第11回ジャパンカップでゴールデンフェザント(アメリカ)が勝つまでの11回中、日本馬が勝ったのは第4回カツラギエース、第5回シンボリルドルフの2回だけだった。東京芝2400メートルのレコードは、しばらくこのジャパンカップでの海外馬のタイムが占めていた。
東京 芝2400のレコード
東京 芝2400メートルのレコードの歴史
1977年 グリーングラス 2分26秒3 AJCC
1981年 メアジードーツ 2分25秒3 ジャパンカップ
1986年 ジュピターアイランド 2分25秒0 ジャパンカップ
1987年 ルグロリュー 2分24秒9 ジャパンカップ
1989年 ホーリックス 2分22秒2 ジャパンカップ
2005年 アルカセット 2分22秒1 ジャパンカップ
2018年 アーモンドアイ 2分20秒6 ジャパンカップ
1980年代は、ジャパンカップで来日した外国馬が、来るたびに日本でレコードタイムを出すのがお決まりになっていた。なかでも第1回のメアジードーツは、アメリカのさほど成績の良くない牝馬が簡単にコースレコードを出し、1秒も更新したことから、「(日本馬は)永遠に勝てないのではないか」と思わせるほどであった。
その頃から考えると、今の日本馬の強さは信じられないほどであるが、では日本馬が強くなった原因は何か。まずは血統。特にサンデーサイレンスの導入は日本馬の力の大きな底上げになったのは間違いない。
強くなった日本馬
他にも色々な要素はあると思うが、ふたつほど、騎手からの意見を紹介する。一つ目はペリエとルメールを交えたインタビュー。
ーペリエ騎手は94年、ルメール騎手は02年から日本で騎乗しているが、当時に比べ日本競馬はどのように変化したか?
ペリエ 乗り始めたときは、とにかくスピード優先のアメリカンスタイルだった。テンから飛ばす競馬をしているから制御の利かない馬が多かった。今は騎手ごとにいろいろなスタイルを実践して、ひとりひとりが考えて競馬をしている。そういう部分でのレベルアップはすごく感じる。
ー今の日本競馬は海外遠征も当たり前となり、多くのGIも勝利している。馬のレベルアップは相当なものだと感じるが。
ペリエ ノー。馬じゃない、馬はトレーナーによって変わるんだ。言い換えると、トレーナーの腕が変わってきているということ。以前とはまったく違う。
ルメール たしかに、それはすごく感じる。一回逃げて強い勝ち方をすると、次も『逃げろ』、その次も『逃げろ』ずーっと『逃げろ』って指示を出してくる。逆に追い込んで強い勝ち方をするとずーっと『後ろから』という指示が出る。一回成功すると同じパターンにハメようとするのが本当に不思議だった。でも今はそういう疑問に直面することは少なくなった。
日本馬が強くなったのは、騎手とトレーナーによる力も大きいということのようだ。続いては元騎手で現調教師である我らが蛯名正義先生である。
「馬が速くなっただけじゃなくて、馬場も年を追う毎によくなっているし、人のレベルも上がっている。ジャパンカップで海外の馬が来日するようになって情報量も増え、調教のレベルも上がっている。サプリメントなども摂らせるようになってきました。」
「もちろんジョッキーのトレーニング方法も科学的な視点を取り入れるようになりました。土日だけではなく、地方交流レースに参戦したり、海外にも出かけて行ったりして目標も大きくなった。体格も変わってきて、今はいわゆるあんこ型のジョッキーは少なくなってきた気がします。血統なのかどうかは分からないけれど、手足が長くなってイケメンも多くなっています。」
『手足が長くなってイケメンも多くなっています。』には涙が出そうになるが、やはり血統だけではなく、人、情報、科学的視点、そしてイケメン、これらが日本馬が強くなった原因だということだ。
私も古いファンなので、本当に今の日本馬の強さには驚くばかりである。あとは私が天国(地獄?)に行くまでに、日本馬が凱旋門賞を勝つところが見られるかどうか。阪神タイガースの連覇とどちらかひとつでいいから叶えたい。と思っていたら、阪神の方は今年(2025年)は間違いないとして、来年も見込みはありそうだから、いっそ、2026年までにどちらも達成できるよう、今から祈っておこう。

