競馬の騎手というのは危険な職業で、2024年までに落馬によって40名もの騎手が殉職している。(中央・地方・国営などの合計)最近では、2024年に落馬による事故で亡くなった藤岡康太騎手の事が思い出される。
藤岡康太騎手は中央で803勝、重賞25勝、G1を2勝している一流騎手で、2009年にNHKマイルカップで初G1勝利を収めたのち、しばらくG1には縁が無かったところ、亡くなる1年前の2023年にマイルチャンピオンシップで久しぶりにG1を制し、これからというところだった。
他にも、初年度に44勝を挙げ最優秀新人賞となり、武豊のライバルになるであろうと言われた有望株の岡潤一郎騎手なども、落馬により1993年に殉職している。
また、落馬による事故ではなく、さまざまな理由で自死している者も多い。
小島貞博
勝利数は少なかったが、ダービーと中山大障害を2勝ずつしている唯一の騎手で、玄人受けする渋い騎手だった。調教師となっていたが、親族の借金を肩代わりしたことが原因で厩舎の運営が厳しくなっていたところ、翌日に控えていた調教師免許の更新がされないと噂されていたなか、2012年1月23日に自ら命を絶った。
嶋田功
「牝馬の嶋田」「オークス男」などといわれ、史上最多のオークス5勝を含むG1級勝利を14勝もしている一流騎手だった。第一次競馬ブームの主役だったハイセイコーをダービーで破ったのも、この嶋田功騎乗のタケホープだった。騎手引退後は調教師としても活躍し、66歳で調教師を引退後、74歳となった年に自死。理由は不明とのこと。
角田大河
ヒシミラクルでG1を3勝し、ジャングルポケットでダービーを制覇した名騎手角田晃一(現調教師)の次男で、史上3人目のデビュー2連勝(史上3人目)、1年目から36勝を挙げてJRA賞新人騎手特別賞を受賞、2年目には重賞も制覇し有望視されていたが、3年目となる2024年に亡くなった。死因は公表されていないが、電車への飛込による自死と言われている。自身が運転する乗用車で函館競馬場の芝コースを走ったという、前代未聞の不祥事による裁決を待っているところであった。
後藤浩輝
この角田大河騎手の事件も衝撃を受けたが、私が最も驚いたのは、今を遡ること10年前、2015年の後藤浩輝騎手の訃報だった。遺書はなく、当初は事故の可能性もあるとの見解もあったが、自宅の脱衣所で縊死しており、自死したとみられている。
私は関西の人間なので、関東(美浦)所属の後藤騎手のことはあまり知らなかったが、2007年に関東リーディングジョッキーになっていることは知っていたし、マイネルレコルトやアロンダイトでのG1勝利のレースも見ている。
成績からして一流であることは間違いないが、他にも態度が悪いとして吉田豊を木刀で殴った有名な木刀事件では、かえって殴った後藤騎手に対して「よくやった」などという擁護がほとんどで、競馬サークルでは一定の信頼を得ているとの認識であった。
また、ファンサービスや競馬会を盛り上げる活動も多く、インタビューで鉢巻を巻いて登場するパフォーマンスや、有馬記念に徹夜で並ぶファンにサイン入りのカイロを配ったなどという逸話もあり、私は好印象を受けた。
競馬界に関係者がいる騎手が多いなか、後藤騎手は全くコネクションのない状態であり若い頃は苦労も多く、腕一本でのし上がるためとアメリカ修行をしたりという努力の人でもあり、さらなる活躍を期待していたところである。
そんな後藤騎手だが、2度の大きな落馬事故に遭い、頸椎を骨折し身体は限界だったようだ。なお、その2度の落馬事故はともに原因が岩田康成騎手であり、そんな岩田騎手を「漢」藤田伸二騎手が批判していることは良く知られている。
しかし、後藤騎手は岩田騎手とのツーショット写真でも笑顔を見せているように、岩田騎手への恨みは無かったと思う。多少の荒っぽい騎乗があったとしても、そもそもレースは戦場であり、そこで怪我をすることは承知の上での商売だろうし、後藤騎手もそう思っていたに違いない。
ただ、怪我の方は相当ひどく、怪我そのものの痛みや満足な騎乗ができないことへの不安、騎乗する際に訪れる恐怖など、常に怯えたような生活を送っていたのは想像に難くない。明るく振舞っていたのはその裏返しだったのだろう。
騎手というのは華やかな反面、常に怪我や成績がつきまとう、身体的にも精神的にも辛い職業である。狭い社会でもあり、視野が狭いことで辛くなった時にうまく対処できなかったり、頼りになる人物がいないということもあるかもしれない。
後藤騎手が亡くなってもう10年。生きていれば50歳というから、まだ騎手をやっていてもいい仕事をしてそうだし、調教師となった姿も見てみたかった。彼のキャラクターなら、タレントとして競馬界の発展にかかわることもできたと思う。まだまだ競馬界には必要な人だった。

