悲運の名馬
宝塚記念(G1)を含む重賞5つを勝ったオサイチジョージ。強い馬だったが、名馬に必要な「運」が無かった悲運の名馬である。実は当時、私の好きな馬の1頭であり応援していたのだが、やはり何か足りなかったというか最終的な印象は薄いままである。
なお、馬主の野出長一(ノデチョウイチ)は、泉佐野市議会議員でもあった堺平和運送株式会社の元社長で、冠名の「オサイチ」は名前「長一」を訓読みしたもの。オサイチジョージが活躍した同じ時期に、ダートのOPと重賞の常連でOPで2勝したオサイチブレベストがいるなど、関西ではわりと著名な冠名だった。
本業を継いだ(と思われる)息子の野出一三(ノデイチゾウ)も馬主をしており、こちらは「カツラギ」の冠名を使っている。カツラギの冠名は泉佐野にほど近い「葛城山」からきているようだ。
こちらは宝塚記念とジャパンカップを勝った名馬「カツラギエース」で知られる冠名である。特に第4回ジャパンカップでの勝利は、「世界的大金星」といわれた日本馬初のジャパンカップ制覇であり、衝撃の勝利であった。ちなみに、カツラギエースは当初、父の野出長一が馬主だったものの、子の一三に譲り渡したものだという。
名種牡馬ミルジョージ
オサイチジョージの父、ミルジョージはその後のミルリーフ系が日本で大人気となる呼び水となった、当時の大人気種牡馬で、1989年にはあのノーザンテーストを追い抜き、全国リーディングで1位になっている。
平成3強の一角イナリワン(G1を3勝)、牝馬ながら南関東の牡馬三冠となった「地方最強の女傑」ロジータや、ほかにもエイシンサニー(オークス)やリンデンリリー(エリザベス女王杯)など、次々とミルジョージは活躍場を輩出した。
オサイチジョージもそんなミルジョージ産駒の活躍馬の1頭であるが、芝のデビュー戦で0.8秒差の2着、芝の2戦目も同じく0.7秒差の2着と出だしは不甲斐ないものだった。連闘で挑んだ3戦目は詰めの甘さをカバーするためかダートのレース。
そこで2着に1.6秒差という大差をつけて勝利する。以後、ダートは走っていないが、父ミルジョージ産駒はイナリワン(中央の芝のG1も3つ勝っているが、東京大賞典も勝っているダートでも強い馬)や南関東三冠の女傑ロジータを出しているように、オサイチジョージもダートでは無双していた可能性も高い。
しかし、当時は今のようにダートのレース体系は整備されておらず、フェブラリーSがダート初のG1となったのも、オサイチジョージが引退した1991年の6年後、1997年を待たないといけない。これがオサイチジョージの一つ目の不運である。
二つ目の不運
オサイチジョージはその後、芝のレースで2連勝し、初めての重賞挑戦となるNZT4歳Sで堂々の1番人気となる。しかし、直線で前方が塞がれ、そこから外に追い出して追い込むが、届かず3着。騎乗した丸山勝秀は「ボクの大失敗。うまく乗っていれば勝てたレース。」と回顧している。
この鞍上が丸山勝秀であったことが、二つ目の不運。丸山勝秀騎手は新人賞も取っているように腕の方は確か(未知数?)と思われるが、素行に問題があり最終的には競馬界を事実上追放されている。
丸山勝秀騎手は、1980年にデビューし、その年21勝して関西の新人賞に当たる中央競馬関西放送記者クラブ賞を受賞するなど、期待の若手であった。また18頭中18番人気の馬で勝利したり、2日連続で11番人気、12番人気の馬を勝たせるなど、目立った勝ち星も多かった。
1983年には重賞を初勝利。1986年には46勝まで勝ち星を伸ばし、大レースで11番人気の馬を2着に持ってくるなどの活躍をみせた。そして1988年からオサイチジョージの主戦として同馬で重賞を4勝し、ついには1990年の宝塚記念でオグリキャップを破り人馬とも念願のG1勝利を収めた。
窃盗容疑で逮捕
まさにこれからという1992年4月、窃盗の容疑で逮捕される。容疑は「1991年12月末にトレセン寮内の土肥幸広騎手の部屋に忍び込み、純金製メダル2個を盗み、質屋で換金した。」というもの。この事件で懲役1年2ヶ月、執行猶予3年の判決を受けたことで騎手免許が取消となり、事実上の「競馬界追放」処分を受ける。
関西の中堅として実績を積み、オサイチジョージとの出会いによって飛躍するかと思われていたが、私生活ではギャンブルによる借金を繰り返しており、結果、この犯行に及んだようだ。なお、その後の動向は不明という。
この丸山騎手が飛躍して一流騎手になっていれば、そのきっかけとなった(はず)のオサイチジョージとの出会いもクローズアップされ、同馬の印象ももっと華やかで違うものになっていたかもしれない。やはり、どうも運がない。なお、現在活躍中の丸山元気騎手とは親戚関係などにはないようだ。
産まれた時代が悪かった
三つ目の不運は、産まれた時代が悪いこと。ダートのレース体系がまだ整備されていなかったこともそうだが、平成の3強と同じ時代に産まれていなければ、もっと勝っていたのではないか。
オサイチジョージの全盛期は、やはり勝った1990年の宝塚記念あたりだと思われるが、宝塚記念の前2走と後2走の計4走、相手が違い鞍上が違えばそのうち2~3つは勝っていたのではないだろうか。
4月の産経大阪杯(G2)はスーパークリークの2着、5月の安田記念はオグリキャップの3着、6月の宝塚記念で勝ち、10月の毎日王冠がラッキーゲランの4着(0.2秒差)、同月の天皇賞・秋でヤエノムテキの4着(0.3秒差)という成績である。
また、唯一のG1勝利である宝塚記念も、当時のオグリキャップ人気がすさまじかったこともあり、オサイチジョージの勝利は歓声ではなく沈黙につつまれた。唯一のG1勝ちがファンから歓迎されなかったことも不運のひとつだと思う。
オサイチジョージは引退後種牡馬となったが、重賞を勝つような産駒は表れず、1999年に廃用となる。そして、その後は行方不明という…あのオサイチジョージが。なお、イナリワンも種牡馬としては成功せず、孫世代で種牡馬になった馬もいないため、ミルジョージ系のサイアーラインは途絶えている。
呪われたかのようにいくつもの不運が重なってしまった、悲運の名馬オサイチジョージ。主戦だった丸山勝秀騎手とも、どちらも消息不明というのは悲しいというほかない。

