二大種牡馬とライバル生産者の対決
ネットなどで検索すると「ガヴアナー」と「ガヴァナー」の両方が出てくるが、これは当時の表記が小さい「ァィゥェォ」は使わず、大きい「アイウエオ」だけを使っていたことによる。よって、当時の表記に従うと「ガヴアナー」となり(この場合も読み「ガヴァナー」)、実際の読みを現在の表記方法で文字にすると「ガヴァナー」となるようだ。
ちなみに「ガヴァナー」(この記事では以下「ガヴァナー」と表記する。)は、英語で書くと(governor)で、その意味は「長官」「知事」である。なんで競走馬にそんな名前をと思ったら、ガヴァナー(governor)には属州総督(ぞくしゅうそうとく)という、古代ローマにおいて属州の行政を任された総督(法を執行し軍を統率する者)の意味もあった。
ガヴァナーはそんな富と力を併せ持つ(属州総督)、その名に恥じぬ活躍をみせる。1935年3月30日のデビュー戦、中山競馬場の新呼馬競走を4馬身で勝利し、続く4月14日の新呼馬優勝競走も同じ4馬身差で勝利する。そして2戦2勝の戦績をもって、全兄弟(父シアンモア母アストラル)であるカブトヤマが制している日本ダービー(2年前の第2回)に挑戦することとなった。
父のシアンモアは、昭和初期にトウルヌソルと並び二大種牡馬と言われた名種牡馬で、日本ダービーでは第1回がトウルヌソル産駒、第2回、第3回はシアンモア産駒がそれぞれ勝利を収めており、トウルヌソルは第1回以来の2勝目、シアンモアは日本ダービー3連勝がかかっていた。この種牡馬対決とともに、
そんな種牡馬対決とともに、このレースは、第1回日本ダービー馬のワカタカを輩出した下総御料牧場(トウルヌソルを繋養)と、第2回ダービー馬カブトヤマの生産者である小岩井農場(シアンモアを繋養)という二大牧場のライバル対決でもあった。お互い負けられないこのレースに、下総御料牧場はクレオパトラトマスとフソウの2頭、小岩井農場はガヴァナー、アカイシダケの2頭を出走させている。
レース前の状況とレース
1番人気は下総御料牧場の3戦3勝の牝馬クレオパトラトマス。デビュー戦で楽勝し、2戦目はレコードでの勝利とさらに強いところを見せ、続いて挑んだ古馬との混合レースである帝室御賞典も快勝する。2戦2勝のガヴァナーは、そこから少し離れた2番人気。3番人気は、ミラクルユートピアの半弟ハッピーユートピアだった。
ハッピーユートピアの半兄ミラクルユートピアは、昨年の第3回ダービーで断トツの1番人気となるもレース当日の最終調整で怪我をし、ダービーに出走できなかった(しかも、そのまま引退となった)悲運の馬であり、半弟のハッピーユートピアがその雪辱を果たすかというのも注目されていた。
当日はあいにくの雨であり、第1回から4回連続の不良馬場で行われることとなった。11頭立てで行われたレースは、断トツの1番人気であるクレオパトラトマスが出負けする少し波乱の幕開けとなる。しかし、そこから押して巻き返し、第1コーナーではもう先頭に立つ。
少し離れた2番手には、様子を見るように2番人気のガヴァナーが取り付き、その後ろには4番人気の素質馬アカイシダケ。レースは淡々と進みそのままの体勢が続くが、第3コーナー付近でガヴァナーが動くいたのとは逆に、クレオパトラトマスは不良馬場がたたり手応えが怪しくなる。
ガヴァナーとアカイシダケは楽々とクレオパトラトマスをかわし、第4コーナーをガヴァナーが先頭でまわると直線では2頭の一騎打ちとなる。余裕のあるガヴァナーに対してアカイシダケは一杯となり失速、その後は一人旅となり6馬身差をつけてガヴァナーが先頭でゴール。レコード勝ちの圧勝だった。
明暗を分けたその後
これで、カブトヤマ、フレーモア、ガヴァナーというシアンモア産駒による日本ダービー3連覇と、カブトヤマとガヴァナーによる史上初となる兄弟によるダービー制覇が達成された。鞍上の井川為雄騎手はこの時20歳6ヵ月で、のちにクリフジに乗って20歳3ヵ月でダービーを制覇する前田長吉騎手に次ぐ、2番目の最年少ダービージョッキーである。
勝ったガヴァナーは、このダービーで圧勝したことや、第2回日本ダービーの勝ち馬で帝室御賞典も勝ったカブトヤマの全兄弟という血統的背景からも、ダービー後どれだけ連勝を伸ばせるかとの期待が持たれたが、日本ダービー優勝後わずか2週間後、調教中に木柵に衝突して左後脚を骨折し、治療の甲斐も空しく5月28日に安楽死の処置がとられることとなった。
全兄であるカブトヤマは、種牡馬として産駒マツミドリのダービー制覇により、史上初の親子2代にわたる日本ダービー制覇を成し遂げており、同じ血統的背景を持つガヴァナーも競走馬としてだけにあらず種牡馬としても期待できただろう。なお、このガヴァナーの遺体が運ばれるのを見たと、生前の大川慶次郎(当時6歳)が語っていたらしい。
日本ダービーの前走(新呼馬優勝戦)で勝った時にはガヴァナーに頬ずりして喜んだという程、ガヴァナーに入れ込んでいた厩務員の茅島高平は、ガヴァナーの死により周りが見ておれぬほど落ち込んでいたという。見かねた布施季三調教師は、ヘルムートという馬をあてがい担当させて励ましたという。
しかし、そのヘルムートを雨の中運動させるために雨合羽を着せようとしたところ、驚いたヘルムートに蹴られてしまい、茅島は腸破裂の重傷を負って間もなく亡くなってしまう。これだけの悲運が重なってしまったガヴァナーに対し、負けたクレオパトラトマスはどうだったか。
クレオパトラトマスは、その後16勝し海外遠征の話が出るほどの活躍を見せた。さらに半弟のクモハタが日本ダービーを勝ち、孫のハクチカラが日本調教馬として初の海外重賞を勝利する。繁殖入り後は、桜花賞馬ハマカゼや中山大障害を勝つモモタロウなどを出した。ガヴァナーも生きていれば・・・と思わずにはいられない。


