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	<title>名馬列伝 &#8211; 競馬のはなし</title>
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	<description>競馬に関する色々な話</description>
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	<title>名馬列伝 &#8211; 競馬のはなし</title>
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		<title>中山巧者、中山の鬼「マツリダゴッホ」</title>
		<link>https://goshisyo.com/matsurida-goho/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[Diomed]]></dc:creator>
		<pubDate>Fri, 31 Jul 2026 10:28:51 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[名馬列伝]]></category>
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					<description><![CDATA[有馬記念の穴馬といえば 私が競馬を始めた1989年の有馬記念を勝ったのは、柴田政人騎乗のイナリワンだった。オグリキャップ、スーパークリークと並び「平成三強」と言われた、地方競馬出身の「野武士」イナリワンである。同年の天皇 [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[
<h2 class="wp-block-heading">有馬記念の穴馬といえば</h2>



<p class="wp-block-paragraph">私が競馬を始めた1989年の有馬記念を勝ったのは、柴田政人騎乗のイナリワンだった。オグリキャップ、スーパークリークと並び「平成三強」と言われた、地方競馬出身の「野武士」イナリワンである。同年の天皇賞・春と宝塚記念という両G1レースをイナリワンが勝った時に乗っていた当時デビュー3年目の武豊は、この年の有馬記念ではスーパークリークに乗って2着だった。<br><br>翌1990年の有馬記念は、オグリキャップが武豊を乗せ引退レースで勝利を収めた、あの伝説のレースである。競馬を始めてからの2年に亘る私の有馬記念は、同じ年（1969年生まれ）の武豊を中心にドラマチックな展開を見せた。どちらも、これぞ競馬と言った素晴らしいレースだった。<br><br>3年目となる第36回（1991年）の有馬記念の勝ち馬は「あっと驚く」ダイユウサク（14番人気/15頭）、そしてその翌年1992年の勝ち馬が、こちらもビックリのメジロパーマー（15番人気/16頭）だった。次の1993年は、これまたドラマチックだった田原成貴が騎乗したトウカイテイオーの1年振りの大復活である。<br><br>こんな感じで、私の最初の5年間の有馬記念はドラマチックなレースとそこに挟まれた2年間の大穴というジェットコースターのような構図だった。次の年からは、ナリタブライアンの強いレースだったり、シンボリクリスエスが連覇したり、ディープインパクトが勝ったり負けたりと印象的なレースが続いたが、概して人気どころで決まっていた。<br><br>しかし、ディープインパクトが前年の雪辱を果たした2006年の翌年、有馬記念は久しぶりに9番人気の穴馬で決まる。その2007年の有馬記念の勝ち馬こそが、この記事の主役「マツリダゴッホ」である。9番人気と一応の一桁人気ではあるが、単勝支持率でみると15番人気だったメジロパーマーより低い。</p>



<p class="is-style-primary-box has-box-style wp-block-paragraph">有馬記念優勝馬の最低支持率ランキング<br>1位　ダイユウサク　　　0.6%　14番人気（1991年）<br>2位　マツリダゴッホ　　1.5%　 9番人気（2007年）<br>3位　メジロパーマー　　1.6%　15番人気（1992年）<br>4位　ストロングエイト　1.8%　10番人気（1973年）<br>5位　メジロデュレン　　3.1%　10番人気（1987年）</p>



<h2 class="wp-block-heading">マツリダゴッホ</h2>



<p class="wp-block-paragraph">有馬記念を勝った馬による「ダサい名前ランキング」があれば、必ず上位にくるであろうと思われる「マツリダゴッホ」。いや、上位どころか控えめに言ってもベスト3には入りそうなくらいダサい名前ではある。そう思って歴代勝ち馬を眺めてみたら、申し訳ない、断トツでダサさナンバーワンでした。<br><br>まずは冠名の「マツリダ」がいけない。どれだけかっこいい言葉を続けても、ダサくなる魔法の言葉だ。ちなみに、父は泣く子も黙る大種牡馬サンデーサイレンスであり、マツリダゴッホはそのラストクロップであるが、もし父から名前を取ったらマツリダサイレンスかサンデーマツリダとなる。やっぱりダサい。<br><br>そんなマツリダに付けた「ゴッホ」というのがまた酷い。この「ゴッホ」は言うまでも無く「ひまわり」などで有名な世界的画家「フィンセント・ファン・ゴッホ」からきているのだが、この「ゴリラのウッホウッホ」を思い起こさせる「ゴッホ」という響きが、マツリダと相乗効果を生んで他を寄せ付けないダサさを演出している。<br><br>しかし、そんな飾らない名前には親しみを感じた人も多かったのではないだろうか。最近の有馬記念の勝ち馬でいうと、リスグラシューとかエフフォーリアなんていう舌を噛みそうでまた意味もよく分からない馬たちが多いなか、マツリダゴッホは馬の名前につけるところは意味不明ながら「祭りだ」とか「ゴッホ」という言葉そのものは理解できるところもいい。<br><br>ちなみに、リスグラシューはフランス語で「優美な百合」を意味する「lysgracieux」から、エフフォーリアはギリシャ語で「至福の感覚」を意味する「Efforia」からきている。意味も響きも高貴だなぁ。一方のマツリダゴッホのマツリダは、馬主の高橋文枝が使っていた冠名であるが、当初「ハッピー」を使用していたところ、これといった活躍馬に出会えず「マツリダ」に変えたという経緯がある。<br><br>その意味は夫である高橋重機有限会社の社長、高橋福三郎が祭り好きでありかつお祭り男と言われていたところからきている。そもそも高橋文枝が馬主になったのは、夫である福三郎が「馬が購入できるほど馬券を買う人」のため、その馬券購入を控えさせるために馬主となっていたという。名前もエピソードも高貴とは程遠いが、親近感が湧くねぇ。</p>



<h2 class="wp-block-heading">デビューから3歳クラシックシーズン</h2>



<p class="wp-block-paragraph">父サンデーサイレンス、母ペイパーレインの間に産まれたマツリダゴッホは、身体のバランスの良さや筋肉の付き方などから牧場では期待された1頭であり、特別メニューがあてがわれる程だった。しかし、牧場での交流試合では4頭立てでぼろ負けしたという。しかし、その後は順調に成長する。<br><br>デビュー戦は、2005年8月21日の札幌競馬場での新馬戦（芝1800メートル）だった。蛯名正義が騎乗して3番人気という評価だったが、5番手追走から捲って先頭に立ち直線では突き放すという強い内容のレースをみせ、7馬身差をつけて楽勝する。<br><br>続く重賞初挑戦となる札幌2歳ステークス（G3）では、アドマイヤムーン次ぐ2番人気だったが、スタートで出遅れ後方を追走することになる。そこから追い上げるもアドマイヤムーンの6着に敗れ、さらに後に捻挫をきたして長期休養にはいる。<br><br>翌2006年3月12日の条件戦で復帰して勝利を収めると、皐月賞は諦めて日本ダービーを目標に据えてダービートライアル青葉賞（G2）に出走する。アドマイヤメインに次ぐ2番人気となるが、またしても出遅れて精彩を欠き4着に敗れてしまい、日本ダービーに出走することは叶わなかった。<br><br>放牧を挟んで条件戦（1000万下）に出走して3勝目を挙げ、クラシック最後の菊花賞を目指しトライアルであるセントライト記念（G2）に出走する。3番人気に推されるも最終コーナーで躓いて前の馬に接触して落馬してしまい、菊花賞には参戦できず結局クラシックには出走することができなかった。</p>



<h2 class="wp-block-heading">第52回有馬記念までの戦績</h2>



<p class="wp-block-paragraph">菊花賞後に条件戦（1600万下）で2着、1着として遂にオープン馬となり、4歳を迎えたマツリダゴッホは中山競馬場でのAJCC（Jpn2）を勝利し、続く日経賞（G2）でも3着と好走する。ここまでデビューからの5勝は札幌2勝、中山3勝という偏り方であった。<br><br>次走、G1初出走となる春の天皇賞では5番人気となるが、メイショウサムソンの11着と大敗する。そこで、2勝を挙げている札幌競馬場での札幌記念（G2）に出走し1番人気になるも、同期のフサイチパンドラの7着に敗れてしまう。大敗が続いたが、勝利したAJCCと同じ中山の2200mオールカマーに出走すると1番人気に支持される。これに見事勝利して、重賞2勝目を挙げる。<br><br>G1の2走目となる天皇賞・秋では初の東京コースということもあり、8番人気と人気を落とす。また結果も15着と振るわなかった。ここまでG1は2走してともに大敗であり、ファンの間ではG1では少し力が足りないという認識であり、また良績が中山競馬場に集中しており「中山専用機」といったイメージであった。<br><br>天皇賞・秋での大敗を受けてJCは自重し短期放牧することになり、得意の中山でのAJCCの連覇を目標とすることになったが、帰厩した姿を見た国枝調教師はマツリダゴッホの本格化した身体と、あまりの状態の良さから有馬記念出走を提案する。それでも、あくまでAJCC連覇への前哨戦という位置づけだったという。<br><br>第52回有馬記念の人気は、メイショウサムソンが3.0倍で1番人気、ロックドゥカンブが4.4倍で2番人気、ポップロックが6.0倍で3番人気、ダイワスカーレットが6.1倍で4番人気、ファン投票1位のウオッカが8.3倍で5番人気だった。ファン投票19位のマツリダゴッホは9番人気で、オッズは52.3倍だった。</p>



<h2 class="wp-block-heading">第52回有馬記念</h2>



<p class="wp-block-paragraph">2007年12月23日に行われた第52回の有馬記念（GI）は出走頭数（16頭、フサイチパンドラが出走取消して出走は15頭）より出走馬のG1勝利数が多いという「超豪華メンバー」と言われ、5番人気までが単勝オッズ10倍を切る混戦だった。その5頭の戦績などは次のとおり。</p>



<p class="is-style-success-box has-box-style wp-block-paragraph">1番人気（3.0倍）メイショウサムソン<br>石橋守騎手で日本ダービーを制覇後、天皇賞・春を勝ち、宝塚記念で2着（1着アドマイヤムーン）、天皇賞・秋を武豊騎手に乗り替わって勝利し、JCで3着（1着アドマイヤムーン）となる。<br><br>2番人気（4.4倍）ロックドゥカンブ<br>南半球産まれの遅生まれの馬だが、デビューから4連勝（新馬、マカオJCT500万下特別、ラジオNIKKEI賞、セントライト記念）して、菊花賞に挑み3着（1着アサクサキングス）という成績。<br><br>3番人気（6.0倍）ポップロック　宝塚記念3着、天皇賞・秋4着、ジャパンカップ2着<br>4番人気（6.1倍）ダイワスカーレット　桜花賞、ローズS、秋華賞、エリザベス女王杯と4連勝中<br>5番人気（8.3倍）ウオッカ　桜花賞2着、日本ダービー1着、宝塚記念8着、秋華賞3着、JC4着</p>



<p class="wp-block-paragraph">確かに凄いメンバーであり、いくら「中山の鬼」であってもマツリダゴッホに出る幕はなさそうだ。他にも、G1を5勝しここが引退レースとなるダイワメジャー、外国G1優勝のコスモバルクやデルタブルースなど、多士済々のメンバーだった。<br><br>ダイワスカーレットがハナを奪うが、スタンド正面前に入るコーナーでチョウサンがハナを奪い、1000mの通過が60秒台というスローペースになる。前からレースをすると思われた1番人気のメイショウサムソンは後ろ目に位置することとなった。そのまま大きな動きがないままレースは進み、第3コーナー直線でウオッカとメイショウサムソンが仕掛けるが、外を回らされたうえそのまま失速する。<br><br>ダイワスカーレットがバテたチョウサンを追い抜き先頭に立ち、そのまま押し切ろうとするが、マツリダゴッホが内側の経済コースを突いて進出すると、ダイワスカーレットを捉えて先頭に立ち、そのままゴールする。2着にはダイワスカーレット、3着には前目につけていたダイワスカーレットの兄ダイワメジャー。</p>



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<iframe title="2007年 有馬記念（GⅠ） | マツリダゴッホ | JRA公式" width="1200" height="900" src="https://www.youtube.com/embed/0d4jAyUUhiQ?start=133&amp;feature=oembed" frameborder="0" allow="accelerometer; autoplay; clipboard-write; encrypted-media; gyroscope; picture-in-picture; web-share" referrerpolicy="strict-origin-when-cross-origin" allowfullscreen></iframe>
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<p class="wp-block-paragraph">単勝5230円は、1991年ダイユウサクの13,790円に続く有馬記念史上2位の高額配当で、馬単・3連単・3連複は有馬記念史上最高配当だった。（3連複と3連単は2008年に更新された）マツリダゴッホを管理する国枝栄調教師は、レース前「今年はインフルエンザが大はやり。みんなゴッホゴッホと言っていた」とサイン理論によるマツリダゴッホの優勝を予告していたという。</p>



<h2 class="wp-block-heading">中山マエストロ</h2>



<p class="wp-block-paragraph">有馬記念を勝利したマツリダゴッホは、当初予定していたAJCCではなくもうひとつ高みを目指し海外遠征の計画が立てられた。ドバイシーマクラシック、香港でのクイーンエリザベス2世カップというもので、それらを経て日本へ戻り宝塚記念に挑むという盛大なものである。<br><br>しかし、日本における馬インフルエンザの流行の影響によりドバイへの遠征は見送られた。「インフルエンザが大はやり。みんなゴッホゴッホ。」などというサインが効いていたのかどうかわ分からないが、有馬記念のサイン馬券のキーとなるインフルエンザが、ここでは馬インフルエンザという形に変わり、マツリダゴッホ陣営の夢を砕くことになった。<br><br>ドバイの代わりとなるクイーンエリザベス2世カップへの前哨戦として日経賞に出走し、1番人気に応えて快勝する。やはり中山競馬場での強さは格別であり、それはファンも良く知るところであって、「中山の鬼」「中山巧者」「中山マイスター」という二つ名は完全に定着していた。<br><br>続く香港でのクイーンエリザベス2世カップの成績によっては、凱旋門賞への参戦を含めた欧米への遠征も考えていたところであったが、香港でのレースでは折り合いを欠き3番人気での6着に敗れてしまう。宝塚記念も見送りとなり、以降は引退まで国内でのレースに専念することになる。<br><br>その後は、引退まで2年弱の間で9戦して2勝しかできなかった。得意の中山での有馬記念も2度出場してともに7着と振るわず、G1ではJCの4着が最高成績だった。しかし、その2勝がともに中山競馬場のオールカマ―であり、これは史上初めてとなるオールカマー3連覇という偉業であった。<br><br>この3連覇は、金鯱賞3連覇のタップダンスシチー、函館記念3連覇のエリモハリアーなどに次ぐ史上5頭目となるJRAの同一平地重賞3連覇であり、スピードシンボリ、シンボリルドルフに続く3頭目となる、史上最多タイとなる中山競馬場の平地重賞6勝という記録となる勝利でもあった。<br><br>中山競馬場ではめっぽう強く、中山マイスターなどとも言われたマツリダゴッホ。マイスターとは巨匠や大家（たいか）という意味のドイツ語であるが、より芸術的な意味をもつイタリアの「マエストロ」の称号を彼には送りたい。「祭り」の雰囲気からもイタリアが似合う。しかし、ゴッホはオランダ人なんだよなぁ。<br></p>
]]></content:encoded>
					
		
		
			</item>
		<item>
		<title>運のないオサイチジョージと競馬界を追放された丸山勝秀騎手</title>
		<link>https://goshisyo.com/osaichi/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[Diomed]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 22 Mar 2026 19:58:19 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[名馬列伝]]></category>
		<category><![CDATA[名騎手列伝]]></category>
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					<description><![CDATA[悲運の名馬 宝塚記念（G1）を含む重賞５つを勝ったオサイチジョージ。強い馬だったが、名馬に必要な「運」が少し足りなかった悲運の名馬である。実は当時、私の好きな馬の１頭であり応援していたのだが、やはり何か足りなかったという [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[
<h2 class="wp-block-heading">悲運の名馬</h2>



<p class="wp-block-paragraph">宝塚記念（G1）を含む重賞５つを勝ったオサイチジョージ。強い馬だったが、名馬に必要な「運」が少し足りなかった悲運の名馬である。実は当時、私の好きな馬の１頭であり応援していたのだが、やはり何か足りなかったというか最終的な印象は薄いままである。</p>



<p class="wp-block-paragraph">なお、馬主の野出長一（ノデチョウイチ）は、泉佐野市議会議員でもあった堺平和運送株式会社の元社長で、冠名の「オサイチ」は名前「長一」を訓読みしたもの。オサイチジョージが活躍した同じ時期に、ダートのOPと重賞の常連でOPで２勝したオサイチブレベストがいるなど、「オサイチ」は関西ではわりと著名な冠名だった。</p>



<p class="wp-block-paragraph">本業を継いだ（と思われる）息子の野出一三（ノデイチゾウ）も馬主をしており、こちらは「カツラギ」の冠名を使っている。カツラギの冠名は泉佐野にほど近い「葛城山」からきているようだ。</p>



<p class="wp-block-paragraph">こちらは、宝塚記念とジャパンカップを勝った名馬「カツラギエース」で知られる冠名である。特に第４回ジャパンカップでの勝利は、「世界的大金星」といわれた日本馬初のジャパンカップ制覇であり、衝撃の勝利であった。ちなみに、カツラギエースは当初、父の野出長一が馬主だったものの、子の一三に譲り渡したものだという。</p>



<h2 class="wp-block-heading">名種牡馬ミルジョージ</h2>



<p class="wp-block-paragraph">オサイチジョージの父、ミルジョージはその後のミルリーフ系が日本で大人気となる呼び水となった、当時の大人気種牡馬で、1989年にはあのノーザンテーストを追い抜き、全国リーディングで１位になっている。</p>



<p class="wp-block-paragraph">平成３強の一角イナリワン（G1を３勝）、牝馬ながら南関東の牡馬三冠となった「地方最強の女傑」ロジータや、ほかにもエイシンサニー（オークス）やリンデンリリー（エリザベス女王杯）など、次々とミルジョージは活躍場を輩出した。</p>



<p class="wp-block-paragraph">オサイチジョージもそんなミルジョージ産駒の活躍馬の１頭であるが、芝のデビュー戦で0.8秒差の２着、芝の２戦目も同じく0.7秒差の２着と出だしは後の活躍からすると不甲斐ないものだった。連闘で挑んだ３戦目は、詰めの甘さをカバーするためかダートのレースだった。</p>



<p class="wp-block-paragraph">そこで２着に1.6秒差という大差をつけて勝利する。以後、ダートは走っていないが、父ミルジョージ産駒はイナリワン（中央の芝のG1も３つ勝っているが、東京大賞典も勝っているダートでも強い馬）や南関東三冠の女傑ロジータを出しているように、オサイチジョージもダートでは無双していた可能性も高い。</p>



<p class="wp-block-paragraph">しかし、当時は今のようにダートのレース体系は整備されておらず、フェブラリーSがダート初のG1となったのも、オサイチジョージが引退した６年後の1997年を待たないといけない。これがオサイチジョージの一つ目の不運である。</p>



<h2 class="wp-block-heading">二つ目の不運</h2>



<p class="wp-block-paragraph">オサイチジョージはその後、芝のレースで２連勝し、初めての重賞挑戦となるNZT4歳Sで堂々の１番人気となる。しかし、直線で前方が塞がれ、そこから外に追い出して追い込むが、届かず３着。騎乗した丸山勝秀は「ボクの大失敗。うまく乗っていれば勝てたレース。」と回顧している。</p>



<p class="wp-block-paragraph">この鞍上が丸山勝秀であったことが、二つ目の不運。丸山勝秀騎手は新人賞も取っているように腕の方は確かと思われるが、素行に問題があり最終的には競馬界を事実上追放されている。</p>



<p class="wp-block-paragraph">丸山勝秀騎手は、1980年にデビューし、その年21勝して関西の新人賞に当たる中央競馬関西放送記者クラブ賞を受賞するなど、期待の若手であった。また18頭中18番人気の馬で勝利したり、２日連続で11番人気、12番人気の馬を勝たせるなど、目立った勝ち星も多かった。</p>



<p class="wp-block-paragraph">1983年には重賞を初勝利。1986年には46勝まで勝ち星を伸ばし、大レースで11番人気の馬を2着に持ってくるなどの活躍をみせた。そして1988年からオサイチジョージの主戦として同馬で重賞を４勝し、ついには1990年の宝塚記念でオグリキャップを破り人馬とも念願のG1勝利を収めた。</p>



<h2 class="wp-block-heading">窃盗容疑で逮捕</h2>



<p class="wp-block-paragraph">しかし、まさにこれからという1992年4月に窃盗の容疑で逮捕される。容疑は「1991年12月末にトレセン寮内の土肥幸広騎手の部屋に忍び込み、純金製メダル2個を盗み、質屋で換金した。」というもの。この事件で懲役1年2ヶ月、執行猶予3年の判決を受けたことで騎手免許が取消となり、事実上の「競馬界追放」処分を受ける。</p>



<p class="wp-block-paragraph">関西の中堅として実績を積み、オサイチジョージとの出会いによって飛躍するかと思われていたが、私生活ではギャンブルによる借金を繰り返しており、結果、この犯行に及んだようだ。なお、その後の動向は不明という。</p>



<p class="wp-block-paragraph">この丸山騎手が飛躍して一流騎手になっていれば、そのきっかけとなった（はず）のオサイチジョージとの出会いもクローズアップされ、同馬の印象ももっと華やかで違うものになっていたかもしれない。やはり、どうも運がない。なお、現在活躍中の丸山元気騎手とは親戚関係などにはないようだ。</p>



<h2 class="wp-block-heading">産まれた時代が悪かった</h2>



<p class="wp-block-paragraph">三つ目の不運は、産まれた時代が悪いこと。ダートのレース体系がまだ整備されていなかったこともそうだが、平成の３強と同じ時代に産まれていなければ、もっと勝っていたのではないか。</p>



<p class="wp-block-paragraph">オサイチジョージの全盛期は、やはり勝った1990年の宝塚記念あたりだと思われるが、宝塚記念の前２走と後２走の計４走、相手が違い鞍上が違えばそのうち２～３つは勝っていてもおかしくない。</p>



<p class="wp-block-paragraph">４月の産経大阪杯（G2）はスーパークリークの２着、５月の安田記念はオグリキャップの３着、６月の宝塚記念で勝ち、１０月の毎日王冠がラッキーゲランの４着（0.2秒差）、同月の天皇賞・秋でヤエノムテキの４着（0.3秒差）という成績である。</p>



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<iframe title="1990年 宝塚記念（GⅠ） | オサイチジョージ | JRA公式" width="1200" height="675" src="https://www.youtube.com/embed/xnetMPVzjGc?start=2&amp;feature=oembed" frameborder="0" allow="accelerometer; autoplay; clipboard-write; encrypted-media; gyroscope; picture-in-picture; web-share" referrerpolicy="strict-origin-when-cross-origin" allowfullscreen></iframe>
</div></figure>



<p class="wp-block-paragraph">また、唯一のG1勝利である宝塚記念も、当時のオグリキャップ人気がすさまじかったこともあり、オサイチジョージの勝利は歓声ではなく沈黙につつまれたものだった。唯一のG1勝ちがファンから歓迎されなかったことも不運のひとつだと思う。</p>



<p class="wp-block-paragraph">オサイチジョージは引退後種牡馬となったが、重賞を勝つような産駒は表れず、1999年に廃用となる。そして、その後は行方不明という・・・あのオサイチジョージがである。なお、イナリワンも種牡馬としては成功せず、孫世代で種牡馬になった馬もいないため、ミルジョージ系のサイアーラインは途絶えてしまった。</p>



<p class="wp-block-paragraph">呪われたかのようにいくつもの不運が重なってしまった、悲運の名馬オサイチジョージ。主戦だった丸山勝秀騎手とも、どちらも消息不明というのは悲しいというほかない。</p>
]]></content:encoded>
					
		
		
			</item>
		<item>
		<title>逃げ馬とは何か？それはシルポートのことだ。</title>
		<link>https://goshisyo.com/silport/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[Diomed]]></dc:creator>
		<pubDate>Wed, 18 Mar 2026 19:32:12 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[名馬列伝]]></category>
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					<description><![CDATA[最強の逃げ馬 最強の逃げ馬ランキングなんていうのを見てみると、サイレンススズカやキタサンブラック、ミホノブルボンというあたりの名前が上位に来る。もちろん、それらの馬が強いことには異論はないのだが、私が思う「最強の逃げ馬」 [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[
<h2 class="wp-block-heading">最強の逃げ馬</h2>



<p class="wp-block-paragraph">最強の逃げ馬ランキングなんていうのを見てみると、サイレンススズカやキタサンブラック、ミホノブルボンというあたりの名前が上位に来る。もちろん、それらの馬が強いことには異論はないのだが、私が思う「最強の逃げ馬」はむしろ、そのランキングの少し下のほうに名前がある、ツインターボやメジロパーマーという馬のほうがしっくりくる。</p>



<p class="wp-block-paragraph">何故かというと、サイレンススズカやキタサンブラックというのは、最強の「逃げ馬」というよりも、単なる「最強馬」という意識が強いし、どちらも逃げ無きゃ勝てないという訳でなく、スピードや能力が違いすぎて逃げる形になっているだけだし、紛れのないように敢えて逃げているだけであって、逃げなくても勝てるほどそもそも強い。</p>



<p class="wp-block-paragraph">「最強の逃げ馬」というからには、逃げなきゃ勝てない、逃げるしかない、そういったある種狂気を含んだ「逃げなきゃどうにもならん。逃げられなきゃ終わり。」という馬でなくてはいけない。それがツインターボであって、メジロパーマーなのだ。</p>



<p class="wp-block-paragraph">しかし、ツインターボは七夕賞、オールカマーを連勝して秋の天皇賞で３番人気（逃げバテてビリ）になった時はまるで本物になりかけたし、メジロパーマーは有馬記念・宝塚記念という両グランプリを勝っている本物の名馬だ。</p>



<p class="wp-block-paragraph">そこまで本気で強くなると、もう逃げ馬の狂気や儚さは半減してしまう。やっぱり逃げ馬とは、極端な戦法、華やかな勝ちと無惨な負け、そしてやはりそこに狂気と儚さが同居してなければいけない。「強すぎて王者になってはいけないのだ。」これはM-1で最終決戦に行かないトムブラウンと同じこと。</p>



<h2 class="wp-block-heading">シルポート！</h2>



<p class="wp-block-paragraph">じゃあ、「最強の逃げ馬」は何か？と言われれば私は「シルポート」と答えるであろう。シルポート、2008年にデビューしたホワイトマズル産駒。ホワイトマズルは、天皇賞・春を勝ったイングランディーレ、オークスを勝ったスマイルトゥモロー、菊花賞のアサクサキングスなどを輩出している。</p>



<p class="wp-block-paragraph">初期の産駒ビハインドザマスクは短距離の追い込み馬だったが、その後には、イングランディーレ、シャドウゲイト、アサクサキングスなど逃げ・先行で良績を残した長距離馬を出しており、この極端さと狂気はシルポートにも受け継がれたようだ。</p>



<p class="wp-block-paragraph">ちなみに「シルポート」の名前は、中国・上海にある「上海旭宝（シルポート）ゴルフクラブ」から来ているらしい。これは馬主が持ってる会社とかではなく、単に馬主がゴルフ好きというところからきているようだ。香港競馬での表記は「國際高球」だとか。</p>



<p class="wp-block-paragraph">初戦の芝で3着、そこからダートを3戦して5,8,4着。芝に戻して2戦目（都合6戦目）にようやく勝利する。なお、以降は引退まで全て芝で走った。その後9戦して3勝、準オープンクラスまで駆け上げる。ここまで15戦4勝というから、やっぱり強い。</p>



<p class="wp-block-paragraph">このあたりで完全に逃げ馬になっており、準オープンでは逃げて4連続二けた着順と、既にシルポートの片鱗を見せている。そこから3戦して勝ち上がり、オープン馬となって初めて重賞に挑戦する。のちに連覇するマイラーズCだが、この初挑戦では12着に大敗する。</p>



<h2 class="wp-block-heading">単穴</h2>



<p class="wp-block-paragraph">この頃から私の注目馬になったのだが、本当に勉強になった。このマイラーズCの後、OP、OP、G3と3戦して1着、2着、2着となるのだが、ここで私はシルポートにまんまとハメられる。</p>



<p class="wp-block-paragraph">まずはマイラーズCで12着に大敗した後のオープン、都大路Sだが、ここは脚質や馬の性格から、前走の大敗は無視していもいいはずなのに、やはり負けすぎている事が気になり、私は消した。するとまんまと逃げきり1着となる。</p>



<p class="wp-block-paragraph">続くメイS（OP)とエプソムC（G3)では、いわゆる単穴（▲）扱いとして、くるなら１着、こないなら着外として３連単フォーメーションを組んだら、どっちも2着となる。買いにくい…</p>



<p class="wp-block-paragraph">今は単なる3番手の印という印象だが、昔は▲単穴といえば、本命をも負かすことのできる爆発力はあるが、ハマらなければ掲示板にも載らない。という馬を表し、極端な逃げ馬や追い込み馬に印がつくことが多かった。</p>



<p class="wp-block-paragraph">それをシルポートに当てはめたら連続2着である。ただ、よく考えたら、逃げ粘って2着、差して届かずの2着なんて実は想定しとかないといけない。この頃のシルポートのお陰で、これは身に着いた。極端なレースをする馬でも2,3着はあると。1着を狙いに行っての2着もあると。</p>



<p class="wp-block-paragraph">その後はG1で逃げては注目され、ファイナルSと金杯という年の終わりと初めのレースを連勝したり、マイラーズC（G2)を連覇したり、目立つ勝ち方をする華やかな馬だった。鞍上が小牧太だったというがまたいい。あくまで王道ではないのだ。</p>



<p class="wp-block-paragraph">私にとって「最強の逃げ馬」はやはりシルポートで決まり。馬券でおいしい思いは全くさせてもらえなかったけど…</p>



<figure class="wp-block-embed is-type-video is-provider-youtube wp-block-embed-youtube wp-embed-aspect-16-9 wp-has-aspect-ratio"><div class="wp-block-embed__wrapper">
<iframe title="【HD】大波乱シルポート完勝。アパパネ４着（読売マイラーズＣ・GⅡ2011）" width="1200" height="675" src="https://www.youtube.com/embed/iXBRvhJL5fI?start=527&amp;feature=oembed" frameborder="0" allow="accelerometer; autoplay; clipboard-write; encrypted-media; gyroscope; picture-in-picture; web-share" referrerpolicy="strict-origin-when-cross-origin" allowfullscreen></iframe>
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		<title>弥生賞とサルノキング</title>
		<link>https://goshisyo.com/saruno-king/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[Diomed]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 09 Mar 2026 10:31:13 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[名馬列伝]]></category>
		<category><![CDATA[競馬のはなし]]></category>
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					<description><![CDATA[第63回弥生賞（2026.3.8） 2026年の弥生賞（ディープインパクト記念）は、川田将雅騎乗の3番人気バステールが優勝した。父キタサンブラックは弥生賞には出走せず、スプリングＳ（1着）から皐月賞（3着）と言う道を歩み [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[
<h2 class="wp-block-heading">第63回弥生賞（2026.3.8）</h2>



<p class="wp-block-paragraph">2026年の弥生賞（ディープインパクト記念）は、川田将雅騎乗の3番人気バステールが優勝した。父キタサンブラックは弥生賞には出走せず、スプリングＳ（1着）から皐月賞（3着）と言う道を歩み、その後はG1を7勝するほどの日本を代表する名馬となった。<br><br>バステールは新馬戦で2着となるも、次戦の未勝利戦では単勝1.5倍の断トツ人気に応えきっちり初勝利を上げる。年が開けた初戦がこの弥生賞で、先の2戦で騎乗したＣ．デムーロから川田将雅騎手に乗り替わったが、川田騎手は見事に応え勝利した。<br><br>川田騎手によると「まだまだ幼い」ところがあり乗りにくいという話もあったようだが、それで3戦目にして弥生賞で差し切って勝利するのだがら能力は相当なものだろう。皐月賞だけでなくクラシック、また古馬になってからも大きな期待ができそうな馬である。<br><br>弥生賞を勝った馬は、レース名ともなったディープインパクトのほかミスターシービー、シンボリルドルフといった三冠馬や、ダービー馬マカヒキ、タスティエーラが勝っており、名馬への登竜門となっていることからも期待は大きい。<br><br>しかし、昨年（2025年）の勝ち馬ファウストラーゼンはその後4戦して全て大敗（2026.3.9現在、現役）、2024年のコスモキュランダは皐月賞2着、有馬記念2着などはあるが12戦して勝ち星なしと、ここ数年は活躍場が出ていないため、バステールには奮起してもらいたい。</p>



<figure class="wp-block-embed is-type-video is-provider-youtube wp-block-embed-youtube wp-embed-aspect-16-9 wp-has-aspect-ratio"><div class="wp-block-embed__wrapper">
<iframe loading="lazy" title="2026年 弥生賞ディープインパクト記念（GⅡ） | バステール | JRA公式" width="1200" height="675" src="https://www.youtube.com/embed/vPWTRFEOCFg?start=2&amp;feature=oembed" frameborder="0" allow="accelerometer; autoplay; clipboard-write; encrypted-media; gyroscope; picture-in-picture; web-share" referrerpolicy="strict-origin-when-cross-origin" allowfullscreen></iframe>
</div></figure>



<h2 class="wp-block-heading">印象に残る弥生賞</h2>



<p class="wp-block-paragraph">弥生賞といえばまず私が思い浮かぶのが、私が初めてリアルタイムでレースを観戦した1989年、不良の鬼レインボーアンバーが勝った弥生賞である。1番人気のサクラホクトオーが不良馬場に苦戦するのを尻目に、2着に1.7秒と言う大差勝ちを収める。<br><br>武豊をして「これほどの不良馬場は初めて」と言わしめた2017年の秋の天皇賞。そのレースで13番人気ながら勝ち馬キタサンブラックの3着に入線して穴をあけたレインボーラインの母母父が、そのレインボーアンバーだったという話題で覚えている人もいるだろう。<br><br>そして、これは私が競馬をやる随分前の話であるが、よく読み聞きした「サルノキング事件」のサルノキングが、この弥生賞を勝っている。ミスターシービー（1983年）、シンボリルドルフ（1984年）という2頭の3冠馬がこの弥生賞を勝つ前、1982年のレースである。<br><br>サルノキングはデビュー戦で2着となるも、その後レコード勝ちを含む５連勝で挑んだ弥生賞でも勝利し、7戦6勝という成績でスプリングＳに出走する。サルノキングが当然1番人気となるのだが、2番人気となったのが「華麗なる一族」出身の当時史上最高金額で取引されたハギノカムイオーだった。<br><br>レースはハギノカムイオーがスローペースのなか楽々と逃げ切り勝利を収めたのだが、1番人気のサルノキングがなんと11頭中の最後方、それも10番手の馬から離れたところにポツンし、さらに向こう正面からロングスパートした結果、4着に敗れてしまう。</p>



<figure class="wp-block-embed is-type-video is-provider-youtube wp-block-embed-youtube wp-embed-aspect-4-3 wp-has-aspect-ratio"><div class="wp-block-embed__wrapper">
<iframe loading="lazy" title="サルノキング田原成貴。東京4歳Ｓ～スプリングＳ" width="1200" height="900" src="https://www.youtube.com/embed/dWV5cxF7xo8?start=100&amp;feature=oembed" frameborder="0" allow="accelerometer; autoplay; clipboard-write; encrypted-media; gyroscope; picture-in-picture; web-share" referrerpolicy="strict-origin-when-cross-origin" allowfullscreen></iframe>
</div></figure>



<h2 class="wp-block-heading">サルノキング事件</h2>



<p class="wp-block-paragraph">サルノキングを信頼して買ったファンには、納得のできない結果だった。また東上してからのレースでは先行していたサルノキングが、ここで離れた最後方というレースをしたことも疑問だった。そして決定的だったのが、サルノキングの共有馬主であった中村和夫が、勝ったハギノカムイオーの共有馬主でもあったこと。<br><br>これらの事実から「賞金面で足りないハギノカムイオーを皐月賞に出走させるため、サルノキングを後方において負けさせ、かつレースをスローに落とした。八百長だ。」という疑義が、関東の調教師、マスコミ、ファンなどから噴出した。<br><br>中村調教師や田原騎手は「八百長ではない。東上したレースでは引っかかって先行することになったが、それではクラシックで戦えないと考え後方待機策を取ったのだ。」と弁明する。実際、関西でのレースでは後方からの追い込みに終始していたのだが、今とは違い東西の情報が伝わりづらい頃であり、関東のファンにとってサルノキングは先行馬と思われていたのだ。<br><br>また、騎手の田原成貴は派手で華麗な騎乗を好んでおり、ここでも「関東にファンにあっと言わせる」つもりで極端な競馬をしたという。また「性格的に田原なら、ハギノカムイオーを勝たせるために後方待機しろ、と言われれば逆に突っかかり潰しにいってもおかしく無い。」と関西の関係者は証言している。<br><br>よって、関西圏ではあまり疑念は無かったものの、関東では長い間この件に対するヤジなどは収まらなかったという。なお、サルノキングはレース中に骨折していたことも判明し、復帰を目指すも叶わず、このレースをもって引退となった。</p>



<h2 class="wp-block-heading">父はテュデナム</h2>



<p class="wp-block-paragraph">私が思うに、この2頭の力は抜きんでており、普通に走って2頭のワンツーが可能であったろう。なので「ハギノカムイオーを勝たせるためにサルノキングが後方策から負ける」なんて方法を取る必要は無いし、八百長には思えない。<br><br>言うとすれば、「サルノキングは皐月賞に直行すれば良かったのでは？」ということ。弥生賞を勝った上、スプリングＳを使う必要があったのか。今なら考えられないが、当時としてはそこまで厳しいローテーションでは無かったという認識だったのだろう。<br><br>今や内国産種牡馬がリーディングの上位を占めることが当たり前になっているが、当時は内国産種牡馬が成功することは困難であり、「競走馬であるうちに稼げるだけ稼ぐ」という考え方が横行していたことは否めない。「馬優先」という考えからは噴飯ものだが「経済活動」という観点からは、当時としては致し方ないところもある。<br><br>そんなサルノキングの血統だが父はテュデナムという、今は途絶えてしまったサイアーラインの種牡馬である。代表産駒はサルノキングのほかセントライト記念を勝ったホスピタリティ、中山記念などを勝ち有馬記念で２着になったテュデナムキングなどがいる。<br><br>自身はG1勝ち馬を出すことはできなかったが、産駒のホスピタリティから1989年の皐月賞を勝ったドクタースパートがいる。サルノキングも種牡馬となったが活躍馬は出ずに1993年に種牡馬を引退して、その後の消息は不明と言う。結局、サルノキングの名前は件（くだん）の事件名として残っているだけのようだ。</p>
]]></content:encoded>
					
		
		
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		<title>最弱のダービー２着馬を探せ！</title>
		<link>https://goshisyo.com/derby-2/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[Diomed]]></dc:creator>
		<pubDate>Fri, 23 Jan 2026 11:24:21 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[名馬列伝]]></category>
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					<description><![CDATA[ダービー２着馬は強い 今回は最弱のダービー２着馬を探すことにした。というのも、ダービー２着馬はそれこそダービーを勝った馬より強い馬が多いのではと思われるほど、その後凄い成績を残している馬が多い。そこで、逆に最弱のダービー [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[
<h2 class="wp-block-heading">ダービー２着馬は強い</h2>



<p class="wp-block-paragraph">今回は最弱のダービー２着馬を探すことにした。というのも、ダービー２着馬はそれこそダービーを勝った馬より強い馬が多いのではと思われるほど、その後凄い成績を残している馬が多い。そこで、逆に最弱のダービー２着馬を探すことにしてみたという訳だ。<br><br>さて、まずは強い方を見てみよう。なお、あまり古い時代の馬はピンとこないので、平成（1989年）以降の馬に限っている。まずは、ダービーで惜しくもハナ差で負けた馬をみてみよう。<br><br>ミレニアムの2000年、皐月賞を勝ち武豊を鞍上に1番人気でダービーに挑んだエアシャカールは、兄弟子河内洋のアグネスフライトにハナ差（7cm）で2着に負けてしまう。その後菊花賞も勝ったエアシャカールは、たったの7cmで３冠を逃したことになる。<br><br>ほかにハナ差で負けた馬には、2016年のサトノダイヤモンド（1着マカヒキ）と2012年のフェノーメノ（1着ディープブリランテ）がいるが、サトノダイヤモンドは後に菊花賞と有馬記念を、フェノーメノは天皇賞春を２回勝っている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">ダービー２着後、G1を勝った馬たち</h2>



<p class="wp-block-paragraph">その他、ダービー２着馬でのちにG1を勝った馬はたくさんいるが、特に3勝以上している馬がこれだけいる。</p>



<p class="is-style-blank-box-blue has-border wp-block-paragraph">1992年　ライスシャワー（1着ミホノブルボン）菊花賞、天皇賞春２回<br>1993年　ビワハヤヒデ（1着ウイニングチケット）菊花賞、天皇賞春、宝塚記念<br>2002年　シンボリクリスエス（1着タニノギムレット）天皇賞秋２回、有馬記念２回<br>2003年　ゼンノロブロイ（1着ネオユニヴァース）天皇賞秋、ジャパンカップ、有馬記念</p>



<p class="wp-block-paragraph">錚々たるメンバーである。ほかにも、G1は2勝だが、有馬記念（ほかにドバイSCで勝利）でディープインパクトを破ったハーツクライもダービーの2着馬である。ちなみに、その時のダービーを勝ったのはディープと同じ馬主（金子真人）であるキングカメハメハだ。</p>



<h2 class="wp-block-heading">最強のダービー２着馬</h2>



<p class="wp-block-paragraph">最強のダービー２着馬と言えば誰もが認める「イクイノックス」がいるのを忘れてはいけない。2022年のダービーで惜しくも2着（クビ差）となったイクイノックスは、のちに天皇賞秋→有馬記念→ドバイSC→宝塚記念→天皇賞秋→ジャパンカップとG1を6連勝して引退。<br><br>ダービー２着馬の最強馬というより、歴代最強馬だろう。なお、馬名の意味は「昼と夜の長さがほぼ等しくなる時」の英語らしいが、私は最初の頃はイクイノックスではなく「イクノイックス」だと思っていた。<br><br>これは私だけではなく、特に私と同世代のオールドファンは、同じように間違えていた人も多いようだ。それは当時の歴代賞金女王で、重賞を４勝、安田記念・宝塚記念連続２着となった名牝「イクノディクタス」の冠名「イクノ」に釣られたものだ。<br><br>関西では割と著名な「勝野憲明」という馬主の冠名で、「イクノ」のほかに「ダンディ」「エミノ」の冠名を使っている。それでこんがらがっていた人も多かったようだが、私も含めてここまで強くなると流石に「イクイノックス」と、さらっと言えるまでになったと思う。</p>



<h2 class="wp-block-heading">名馬揃い</h2>



<p class="wp-block-paragraph">スピッツとロビンソンも、出だしの頃はどっちが曲名でどっちがバンド名か分からんと言われたものだが、今は間違える人はもういない。</p>



<p class="wp-block-paragraph">馬の話の戻ろう。ダービー２着馬には他にも、1996年のダンスインザダーク（1着フサイチコンコルド）、2017年のスワーヴリチャード（1着レイデオロ）、2021年のエフフォーリア（1着シャフリヤール）、2013年のエピファネイア（1着キズナ）と名馬揃いである。</p>



<h2 class="wp-block-heading">最弱のダービー２着馬</h2>



<p class="wp-block-paragraph">強いダービー２着馬の話が長くなったが、本題の最弱のダービー２着馬を探そう。平成（1989年）以降のダービー２着馬で、G1を勝っていないのは、次のとおり。</p>



<p class="is-style-blank-box-blue has-border wp-block-paragraph">1994年　エアダブリン（1着ナリタブライアン）９戦２勝、重賞２勝<br>1998年　ボールドエンペラー（1着スペシャルウィーク）４戦０勝、神戸新聞杯２着<br>2005年　インティライミ（1着ディープインパクト）２５戦２勝、重賞２勝<br>2006年　アドマイヤメイン（1着メイショウサムソン）１２戦０勝、菊花賞３着<br>2008年　スマイルジャック（1着ディープスカイ）４９戦３勝、重賞２勝<br>2009年　リーチザクラウン（1着ロジユニヴァース）１９戦１勝、重賞１勝<br>2011年　ウインバリアシオン（1着オルフェーヴル）１６戦１勝、重賞１勝<br>2015年　サトノラーゼン（1着ドゥラメンテ）１１戦０勝、OP２着２回</p>



<p class="wp-block-paragraph">１勝も挙げていないのは、ボールドエンペラー、アドマイヤメイン、サトノラーゼンの３頭で、この３頭が最弱のダービー２着馬候補となるが、この３頭の比較が難しい。まずは３頭の戦績を整理してみよう。</p>



<h3 class="wp-block-heading">ボールドエンペラー</h3>



<p class="wp-block-paragraph">ダービーが12戦目。ダービーは14番人気で２着だった。ダービー後、神戸新聞杯２着、京都新聞杯９着、菊花賞７着、日経新春杯12着で引退。初勝利時以降、１番人気になっていない。故障により引退。</p>



<h3 class="wp-block-heading">アドマイヤメイン</h3>



<p class="wp-block-paragraph">ダービーは４番人気で２着。それまではきさらぎ賞の５着が最低着順。青葉賞では武豊を背に、２着に0.7秒差で逃げ切っている。菊花賞は大逃げから粘って３着となった。晩年は自らレースを止める癖があったという。</p>



<h3 class="wp-block-heading">サトノラーゼン</h3>



<p class="wp-block-paragraph">はなみずき賞、京都新聞杯を連勝してダービーへ。ダービーまでのレース全てで３着以内だった。ダービー２着以降は勝てなかったが、大敗は無い。（２桁着順はあるが、秒数では1.3秒負けが最大。）</p>



<h2 class="wp-block-heading">最弱のダービー２着馬、決定！</h2>



<p class="wp-block-paragraph">ボールドエンペラーは一発屋の大穴タイプ、アドマイヤメインは気分よく逃げると強いタイプ、サトノラーゼンはいかにも善戦マンで、G1でもOPでも3着になるようなタイプと３者３様で比較は難しい。<br><br>そうなると、レースの中身ではなく実績でみるほかない。そうなると神戸新聞杯２着のボールドエンペラー、菊花賞３着のアドマイヤメインに比して、オープンレースでの２着が２回というサトノラーゼンがやはり一番弱いとなろう。<br><br>よって、最弱のダービー２着馬は「サトノラーゼン」に決定！</p>





<figure class="wp-block-embed is-type-video is-provider-youtube wp-block-embed-youtube wp-embed-aspect-16-9 wp-has-aspect-ratio"><div class="wp-block-embed__wrapper">
<iframe loading="lazy" title="2015年 日本ダービー（GⅠ） | ドゥラメンテ | JRA公式" width="1200" height="675" src="https://www.youtube.com/embed/65xGDfLg3ps?start=17&amp;feature=oembed" frameborder="0" allow="accelerometer; autoplay; clipboard-write; encrypted-media; gyroscope; picture-in-picture; web-share" referrerpolicy="strict-origin-when-cross-origin" allowfullscreen></iframe>
</div></figure>
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			</item>
		<item>
		<title>最弱のダービー馬はどの馬か？</title>
		<link>https://goshisyo.com/worst-derby/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[Diomed]]></dc:creator>
		<pubDate>Fri, 23 Jan 2026 11:13:50 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[名馬列伝]]></category>
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					<description><![CDATA[最弱のダービー馬 私が競馬を始めたのは平成元年頃は競馬に関する書籍というのもかなり出ており、別冊宝島の競馬読本シリーズなどもよく読んでいた。そんな書籍のなかには、私が見たことのない昔の名馬や迷馬が紹介されていたが、ダービ [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[
<h2 class="wp-block-heading">最弱のダービー馬</h2>



<p class="wp-block-paragraph">私が競馬を始めたのは平成元年頃は競馬に関する書籍というのもかなり出ており、別冊宝島の競馬読本シリーズなどもよく読んでいた。そんな書籍のなかには、私が見たことのない昔の名馬や迷馬が紹介されていたが、ダービー馬の「栄冠を得るまで」や「その後」が書かれているものが沢山あった。<br><br>そして、そんな書籍のなかで必ず「最弱のダービー馬」として挙げられる馬がいた。それが1980年の日本ダービーを勝つも、その後32連敗した「オペックホース」という馬である。名前の由来は石油輸出国機構の「OPEC」（オペック）と冠号である「ホース」からきている。「ホース」が冠名というのもシンプルで何気に凄い。<br><br>石油輸出国機構の「オペック」を馬名につけるのもどうかと思うが、当時経済を混乱させた第二次オイルショックを受け、「世界を制する資源」と言われた石油にあやかってつけたという。サステナブル（持続可能な）な現在では、あまりつけるのに相応しくない名前ではある。<br><br>さて、そのオペックホースの戦績であるが、ダービー以後32連敗で1勝もできずという、これは今でも燦然と輝くダービー馬におけるダービー後の連敗記録である。続くのはダービー後20連敗（0勝）のシリウスシンボリであるが、同馬の場合はダービー制覇後フランスへ遠征し2年もの間海外で負け続けたもの。<br><br>復帰後は7歳（現6歳）にして毎日王冠であのオグリキャップの2着になっており、遠征がなければ国内では間違いなく勝利を挙げていたと思われる。ちなみにオペックホースは32連敗中2着になったのはオープンレースと朝日チャレンジカップの2回だけで、G1級のレースは有馬記念の4着だけというから、やはり酷い。</p>



<h2 class="wp-block-heading">クライムカイザー</h2>



<p class="wp-block-paragraph">その後、この連敗記録は破られておらず、おそらく破られることもないだろう。何故なら、近年強くなった日本競馬のダービー馬は種牡馬になる可能性が高く、今なら血統的価値を考え、そこまで長く走らせることはないからだ。オペックホースはダービーだけでは種牡馬にはなれず、是非とも他の勝ち鞍が欲しかったのだろう。<br><br>晩年は障害転向も考え練習までしていたところ、飛越は周囲が目を見張るほど卓越していたという。しかし、ダービー馬を障害に出すのかとの批判から断念したらしい。オジュウチョウサンが種牡馬になったこともあって、今なら障害転向もあり得る話だったかもしれない。<br><br>こうなると最弱のダービー馬はオペックホースで決まりのようだが、それでは面白くないので、私が競馬を始めた平成元年（1989年）以降の「最弱のダービー馬」を考えてみよう。ちなみに、オペックホース以前にも「クライムカイザー」という最弱ダービー馬と言われた馬がいるが、こちらはよく見るとそうでもない。<br><br>クライムカイザーは、ダービー後9戦して1戦も勝てないまま引退している。確かに弱い。しかし、その全てが6着以内と大敗しておらず、その9戦の勝ち馬は3勝がトウショウボーイ、2勝がテンポイントとグリーングラスという元祖３強（TTG）であった。</p>



<h2 class="wp-block-heading">平成以降の最弱ダービー馬</h2>



<p class="wp-block-paragraph">さて、では平成以降の最弱ダービー馬を挙げてみよう。まずは、ざっと挙げていきながら検討を加える。</p>



<h3 class="wp-block-heading">1989年　ウィナーズサークル</h3>



<p class="wp-block-paragraph">京都新聞杯4着、菊花賞10着で引退。菊花賞はレース中に骨折しているから、実質は京都新聞杯4着だけ。何とも言えない。なお、以降はアイネスフウジンのようにダービーで引退とか、ダービー後数戦で引退した馬は取り上げない。また、明らかに強い馬（三冠馬、トウカイテイオー、キングカメハメハ、ドウデュースなど）も同じ。</p>



<h3 class="wp-block-heading">2000年　アグネスフライト</h3>



<p class="wp-block-paragraph">関西のボス河内洋が、17回目のチャレンジにてついに同馬によりダービー制覇。しかし、その後8戦して勝てず、神戸新聞杯2着、京都記念2着が最高の成績で、8戦中5戦が二桁着順。これは候補の１頭だろう。</p>



<h3 class="wp-block-heading">2009年　ロジユニヴァース</h3>



<p class="wp-block-paragraph">こちらもデビュー24年目の横山典弘が、念願のダービーを制覇（のちにワンアンドオンリーとダノンデサイルで勝利）、ダービー後4戦して未勝利。6着、13着、2着、14着。最後のレースは2年ぶりのレースだから除外するとして、残り3戦は微妙な成績。いちおう候補としよう。</p>



<h3 class="wp-block-heading">2014年　ワンアンドオンリー</h3>



<p class="wp-block-paragraph">ダービー後、神戸新聞杯を勝っており無敗ではない。しかし、その後23戦してドバイSCの3着が最高で、2桁着順も9回。新馬で2桁着順（12着）からダービーを優勝した初の馬。ダービーは9戦目となり、その時点で通算9戦3勝。これは有力候補だろう。</p>



<h3 class="wp-block-heading">2018年　ワグネリアン</h3>



<p class="wp-block-paragraph">ワンアンドオンリーに似ている。ダービー後、神戸新聞杯を勝つも、その後10連敗。ただ、ジャパンカップと大阪杯での3着があることから、ワンアンドオンリーよりは上と言える。これは候補から外そう。</p>



<h2 class="wp-block-heading">２頭に絞られる</h2>



<p class="wp-block-paragraph">こうやって見ると、アグネスフライト、ロジユニヴァース、ワンアンドオンリーの3頭が残る。しかし、ロジユニヴァースは戦績が少なく、ダービー後の2着が札幌記念でアーネストリーに負けたもの。また、そのアーネストリーはその後天皇賞（秋）3着、金鯱賞3着、宝塚記念1着、オールカマー1着と充実期であり、その2着に来ている馬が弱いとはいえない。<br><br>よって、アグネスフライトとワンアンドオンリーの2頭の争いとなる。アグネスフライトがダービー後2着2回、ワンアンドオンリーが1勝と3着に1回なっているから、そのレースで両馬の強さを測ってみよう。<br><br>ただし、ワンアンドオンリーの3着はドバイでのもので、比較対象としにくいため、同じレースであるアグネスフライトが2着、ワンアンドオンリーが勝った神戸新聞杯を見てみよう。</p>



<h2 class="wp-block-heading">最弱のダービー馬、決定！</h2>



<p class="wp-block-paragraph">アグネスフライトの2着は、フサイチソニックに負けたもの。そのフサイチソニックは、「未完の大器」「世紀末のクラシック世代における幻の最強馬」と言われた逸材で、この神戸新聞杯ではアグネスフライト（2着）、皐月賞と菊花賞を後に勝つエアシャカール（3着）に勝っている。<br><br>よって、アグネスフライトの2着は、かなり価値のある2着といえる。なお、フサイチソニックはこの神戸新聞杯の勝利の後、左前浅屈腱炎を発症し登録抹消となった。その後フサイチソニックが無事で活躍していれば、もっとこの2着の価値は上がっている。<br><br>ワンアンドオンリーが勝った神戸新聞杯の2着はサウンズオブアース。この名前を聞いてピンときた人もいるだろう。そう、サウンズオブアースは「最強の2勝馬」「シルバーコレクター」と言われた、通算で重賞2位が7回という（うちG1が3レース）詰めの甘い馬なのだ。<br><br>ただ、3着のトーホウジャッカルは次走の菊花賞を勝っているが、そのトーホウジャッカルも菊花賞以降は未勝利で全くいいところがなかった。これらのことから、ワンアンドオンリーの勝った神戸新聞杯の勝ちは低いと考える。<br><br>よって！「最弱のダービー馬」は、ワンアンドオンリーに決定！次点がアグネスフライト。オペックホースは殿堂入りとする。</p>





<figure class="wp-block-embed is-type-video is-provider-youtube wp-block-embed-youtube wp-embed-aspect-16-9 wp-has-aspect-ratio"><div class="wp-block-embed__wrapper">
<iframe loading="lazy" title="2014年 日本ダービー（GⅠ） | ワンアンドオンリー | JRA公式" width="1200" height="675" src="https://www.youtube.com/embed/kg5f4yECNIA?start=4&amp;feature=oembed" frameborder="0" allow="accelerometer; autoplay; clipboard-write; encrypted-media; gyroscope; picture-in-picture; web-share" referrerpolicy="strict-origin-when-cross-origin" allowfullscreen></iframe>
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		<title>鶴丸と「ツルマルミマタオー」</title>
		<link>https://goshisyo.com/tsurumaru/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[Diomed]]></dc:creator>
		<pubDate>Wed, 14 Jan 2026 12:37:46 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[名馬列伝]]></category>
		<category><![CDATA[馬名と冠名]]></category>
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					<description><![CDATA[漢字にできる馬名 戦後期の日本競馬を代表する競走馬シンザン。クラシック三冠を制し、その後も当時のG1級レースである宝塚記念、天皇賞（秋）、有馬記念を全て勝った名馬である。引退までの19戦全てのレースで連対（19戦15勝、 [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[
<h2 class="wp-block-heading">漢字にできる馬名</h2>



<p class="wp-block-paragraph">戦後期の日本競馬を代表する競走馬シンザン。クラシック三冠を制し、その後も当時のG1級レースである宝塚記念、天皇賞（秋）、有馬記念を全て勝った名馬である。引退までの19戦全てのレースで連対（19戦15勝、2着4回）しているが、これは未だ破られていない連続連対数の中央競馬レコードである。<br><br>なお、連続連対数の2位はビワハヤヒデの15連続。連対率100%となると、12連続のダイワスカーレットがシンザンに次ぐ2位となる。ちなみに、ビワハヤヒデは引退レースとなった天皇賞（秋）の5着だけが連対できなかったレースである。<br><br>シンザンの名前は、名づけを依頼された武田文吾調教師の孫である「栗田伸一」から取った「伸山」からきているが、その成績から新聞などでは「神山」などと書かれたという。一方、タスティエーラやクロワデュノールといった最近のダービー馬などは、そうやって漢字にするのは難しいだろう。<br><br>ただ、タスティエーラはイタリア語の「キーボード」だから「鍵盤」か「鍵盤楽器」、クロワデュノールはフランス語の「北十字星」だから漢字にできなくもない。しかし、見ただけで漢字が思い浮かんだり、当て字ができる名前は、私のようなオールドファンにはたまらないし懐かしい。</p>



<h2 class="wp-block-heading">鶴丸三股王</h2>



<p class="wp-block-paragraph">「鶴丸三股王」と書くとまるで古墳から出土された刀剣にでも書かれた感のある、まるで王様の名前のようだが、私の年代（1969年生まれ）の競馬ファンならこれが「ツルマルミマタオー」というクラシックを沸かせた名馬がすぐに頭に浮かぶはずだ。<br><br>ツルマルミマタオーは、1989年にデビュー戦となる新馬戦を勝ち、続く小倉3歳Sでは9着と大敗するも、野路菊S（OP）ともみじS（OP）を連勝し、阪神3歳S（GI）で1番人気（3着）となった関西の期待の星であった。その勇猛な名前や後方から一気に追い込む脚質などもあって、成績以上に人気のある馬だった。<br><br>馬名は冠名である「ツルマル」に、馬主である鶴田任男（つるたたかお）と調教師の橋口弘次郎の出身地である宮崎県三股町（みまたちょう）の「ミマタ」からつけたという。地元である「三股町」の名前を全国に広めようということから付けたというが、ツルマルミマタオーはその期待に応える活躍をみせる。<br><br>クラシックを勝つことはできなかったが、三冠レース全てに出走し、皐月賞9着、ダービー4着、菊花賞5着と全て一桁着順だったのは立派である。弥生賞では、後に宝塚記念を勝ちオグリキャップの引退レースでの「ライアン！」（大川慶次郎）でも有名になった、メジロライアンの2着と善戦している。</p>



<figure class="wp-block-embed is-type-rich wp-embed-aspect-16-9 wp-has-aspect-ratio"><div class="wp-block-embed__wrapper">
<iframe loading="lazy" title="1989年 阪神3歳ステークス（GⅠ） | コガネタイフウ | JRA公式" width="1200" height="675" src="https://www.youtube.com/embed/fKyptrm9Rwo?feature=oembed" frameborder="0" allow="accelerometer; autoplay; clipboard-write; encrypted-media; gyroscope; picture-in-picture; web-share" referrerpolicy="strict-origin-when-cross-origin" allowfullscreen></iframe>
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<h2 class="wp-block-heading">グリーングラス産駒</h2>



<p class="wp-block-paragraph">ツルマルミマタオーは、元祖３強のＴＴＧの一角であるグリーングラスの産駒であったことも人気の一端であった。グリーングラスの代表産駒といえば、京王杯オータムH、CBC賞を勝ったトシグリーンか、金杯とAJCCを連勝したトウショウファルコといったところだろうか。<br><br>獲得賞金もこの2頭がワンツーで3番手がこのツルマルミマタオーであるが、怪我さえ無ければツルマルミマタオーがG1を勝ち、代表産駒になっていたかもしれない。トシグリーンとトウショウファルコは長く活躍したが、ツルマルミマタオーは菊花賞の後に屈腱炎を発症し、その後2戦して引退している。<br><br>気性にも問題があったツルマルミマタオーは、古馬になってレース慣れし晩成タイプであるグリーングラスの成長力も伴えば、かなり活躍できたはずだ。掲示板などでは「ギャロップレーサーでは簡単にG1を勝てる馬」という書き込みも多いが、それだけ強いパラメータが設定されていることからも、「強い馬」と認められていたことが分かる。</p>



<h2 class="wp-block-heading">「ツルマル」の馬たち</h2>



<p class="wp-block-paragraph">ツルマルミマタオーは惜しくも重賞を勝つことはできなかったが、「ツルマル」の冠名馬では「ツルマルボーイ」がG1安田記念（2004年、他に2002年金鯱賞、2002年中京記念）を勝ち、ツルマルガール（1994年朝日チャレンジカップ）、ツルマルガイセン（1998年中日新聞杯、カブトヤマ記念）、ツルマルツヨシ（1999年朝日チャレンジカップ、京都大賞典）、ツルマルレオン（2013年北九州記念）が重賞勝ちを収めている。<br><br>今や見ることは無くなったが、「ツルマル」の馬は前記重賞勝ちした馬だけでなく毎年のように重賞を賑わす馬を輩出しており、関西ではかなり著名な冠名であった。親の名前を由来としないなど冠名そのものの是非を問われることもあるが、「一族」などと言われる冠名、それも「鶴丸」のようなベタベタの日本語冠名も興があっていい。<br><br>なかでも和名の王といった風格のある「鶴丸三股王」レベルの名前が、クラシックやG1を賑わせてくれると楽しい。「オルフェーブル」とか「イクイノックス」なんてのもいいが、「クロフネ」や「キズナ」といった和風の馬名って、なんかカッコよくて応援したくなる。<br><br>ダービーは2013年のキズナ以来、もう10年以上和名馬が勝っていない。その前となると1995年の「タヤスツヨシ」まで遡らなくてはいけない。さらにその前は「トウカイテイオー」である。「東海帝王」やっぱりかっこいい。今年のダービーあたり、和名馬が出ていたら狙ってみようかな。</p>
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		<title>実力はG1級、個性豊かなシルバーコレクターたち</title>
		<link>https://goshisyo.com/siiver/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[Diomed]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 01 Jan 2026 00:53:53 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[名馬列伝]]></category>
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					<description><![CDATA[みんな大好きステイゴールド シルバーコレクターと言われる競走馬はかなりいる。最も有名なところでは、みんなが大好きなステイゴールドがいる。条件戦を2勝したのち、重賞初挑戦となる京都新聞杯から28連敗を喫する。その28連敗中 [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[
<h2 class="wp-block-heading">みんな大好きステイゴールド</h2>



<p class="wp-block-paragraph">シルバーコレクターと言われる競走馬はかなりいる。最も有名なところでは、みんなが大好きなステイゴールドがいる。条件戦を2勝したのち、重賞初挑戦となる京都新聞杯から28連敗を喫する。その28連敗中、2着が10回、しかもそのうちG1が4回というシルバーコレクターぶり。<br><br>しかし、目黒記念で連敗を脱出して重賞初勝利をあげると、翌年は日経新春杯で2つめの重賞を制し、続くドバイでの海外遠征でもドバイシーマCに勝ち（G2）、力のあるところを見せた。あとは念願のG1制覇だが、宝塚記念4着、天皇賞（秋）7着、ジャパンカップ4着とやはり少し届かない。</p>



<p class="wp-block-paragraph">残るチャンスは引退レースとなる香港ヴァーズ（G1）だけとなったが、なんとこのレースで見事勝利を収めG1ウイナーに名を連ねた。さらには種牡馬として、朝日杯、宝塚記念、有馬記念を勝つドリームジャーニー、そして三冠馬にして有馬記念を2回、宝塚記念を勝ち、凱旋門賞の2着を2回という最強馬、オルフェーブルを輩出した。</p>



<figure class="wp-block-embed is-type-video is-provider-youtube wp-block-embed-youtube wp-embed-aspect-16-9 wp-has-aspect-ratio"><div class="wp-block-embed__wrapper">
<iframe loading="lazy" title="2000年 目黒記念（GⅡ） | ステイゴールド | JRA公式" width="1200" height="675" src="https://www.youtube.com/embed/28top-GCRz8?start=2&amp;feature=oembed" frameborder="0" allow="accelerometer; autoplay; clipboard-write; encrypted-media; gyroscope; picture-in-picture; web-share" referrerpolicy="strict-origin-when-cross-origin" allowfullscreen></iframe>
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<h2 class="wp-block-heading">G1を勝てなかった馬たち</h2>



<p class="wp-block-paragraph">それでもステイゴールドは50戦7勝と、7回も1位になっている。その点エタリオウは、同じシルバーコレクターでも、17戦してたったの1勝というから、力はG1級であっても何かの力が働いて2着になってしまうといった馬だった。17戦して1勝、そして2着はなんと7回。<br><br>500万下、梅花賞（500万下）、ゆきやなぎ賞（500万下）、青葉賞（G2）で4連続2着となり、ダービーに挑戦して4着。そこから神戸新聞杯、菊花賞、日経賞をまた3連続2着。ここまでくると、力とか最後の詰めが足りないというより、人智の及ばない何かを感じる。シルバーコレクターにして最強の1勝馬である。<br><br>生まれた時代が悪いことでシルバーコレクターになった馬もいる。ウインバリアシオンがその筆頭だろう。歴代最強馬にも挙げられるオルフェーブルと同じ年に生まれたせいで、遂にG1は勝てなかった。<br><br>青葉賞で3勝目をあげ、ダービーに挑む。10番人気と人気は無かったが、直線一度は先頭に立ち、最後はオルフェーブルに抜かれて2着になるも、3着とは7馬身離れておりオルフェーブルと力に差の無いところを見せた。<br><br>秋は神戸新聞杯、菊花賞と王道を進むも、両レースともにオルフェーブルの2着。たらればになるが、オルフェーブルがいなければダービー、菊花賞の2冠馬になっていた。翌年には日経賞でとうとうネコパンチにも負けて2着。<br><br>その翌年の有馬記念でも、またオルフェーブルの2着となる。さらに翌年は天皇賞でフェノーメノの2着、これでG1では4回目の2着となり、その後5走するも日経賞の2着が最高で、遂にG1を勝つことはできなかった。</p>



<p class="wp-block-paragraph">オルフェーブルがいなければ…と思ってしまうが、竹邑厩務員は「悔しいけれど、あの馬がいるからこそまたがんばろうという気持ちになる。いつかまた一緒に戦って、負かしたい」、中山調教助手は「オルフェが居てくれての競馬でよかったなあ、と僕らは思うんです。」と語っている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">個性的なシルバーコレクターたち</h2>



<p class="wp-block-paragraph">他には3年連続で高松宮記念を2着のナムラクレア（現役馬。2025年6月14日現在、G1未勝利）のような偏ったシルバーコレクターもいれば、リスグラシューのように阪神JF、桜花賞、秋華賞、ヴィクトリアマイルと全て2着だったシルバーコレクターが、その後エリザベス女王杯、宝塚記念、コックスプレート、有馬記念とG1を4つも勝ちシルバーコレクターを返上した馬もいる。<br><br>その昔のアメリカ。三冠の最有力とされ期待されたアリダー。しかし、その結果は三冠全てのレースにおいてアファームドの2着となり、アリダーはアファームドの引き立て役となってしまった。アリダーはその後アファームドとは別路線をすすみ、26戦14勝・2着9回の成績をもって引退した。<br><br>しかし、種牡馬となってからは、競走成績とは正反対にアリダーが大成功を収める。アメリカクラシックの三冠馬を出し、リーディングサイヤーにも輝いた。ステイゴールドもそうだったように、シルバーコレクターは種牡馬になってから天下を取る。そういうことが多い。<br><br>これも競馬の醍醐味の一つである。</p>
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		<title>「幻の三冠馬」そんな気持ちにさせる名馬「ペルーサ」</title>
		<link>https://goshisyo.com/pelusa/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[Diomed]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 01 Jan 2026 00:21:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[名馬列伝]]></category>
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					<description><![CDATA[残る一冠に出られなかった幻の三冠馬 「幻の三冠馬」と言われる馬は何頭もいる。ダービーを勝った時点で10戦10勝、うち7レースがレコード、三冠間違い無しと言われた「トキノミノル」。だが、ダービーの17日後に破傷風で命を落と [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[
<h2 class="wp-block-heading">残る一冠に出られなかった幻の三冠馬</h2>



<p class="wp-block-paragraph">「幻の三冠馬」と言われる馬は何頭もいる。ダービーを勝った時点で10戦10勝、うち7レースがレコード、三冠間違い無しと言われた「トキノミノル」。だが、ダービーの17日後に破傷風で命を落としてしまう。<br><br>新馬戦で2着となった以降、8連勝で皐月賞・ダービーを制覇。最強馬にも必ず名前の上がる希代の逃げ馬「カブラヤオー」。ダービー後に屈腱炎を発症し、菊花賞を断念せざるを得なかった。<br><br>「ミホシンザン」は皐月賞、菊花賞を勝っているが、ダービーは怪我で出走できなかった。「トウカイテイオー」は皐月賞・ダービーを制するもやはり怪我で菊花賞に出走できなかった。どちらも出走できていれば、まず勝っていただろうと言われている。<br><br>この４頭は三冠のうち２つを勝ち、残る一つに出走できなかった馬たちである。そして、一般的には、２冠を制するも残るひとつに出走できなかった馬をもって「幻の三冠馬」ということが多い。</p>



<h2 class="wp-block-heading">一冠や無冠の幻の三冠馬</h2>



<p class="wp-block-paragraph">ほかには、「アグネスタキオン」や「フジキセキ」も幻の三冠馬と言われるが、「アグネスタキオン」は皐月賞しか勝っていない（ダービー、菊花賞とも不出走）し、「フジキセキ」に至っては三冠レースに全く出走していない。<br><br>こうなってくると、「幻の三冠馬」の条件をもっと広げてもいいのではと思うがどうだろう。例えば「出走していれば」を逆にして「〇〇が出走していなければ」とすればどうか。「ミホノブルボン」はライスシャワーが「出走していなければ」三冠だったのだから「幻の三冠馬」といってもいいような気もする。<br><br>「エアシャカール」もそう。ダービーでハナ差負かされたアグネスフライトがちょっとヨレていたら、三冠馬になっていた。これも「幻の三冠馬」と言ってしまおう。（エアシャカールは、準三冠馬とも言われている。）</p>



<h2 class="wp-block-heading">私だけの幻の三冠馬</h2>



<p class="wp-block-paragraph">そして我が「ペルーサ」もそう。出遅れ癖が無かったら、三冠馬だったはずだ。ただ、出遅れなかった有馬記念でも４着だったのは内緒だ。あの時は興奮したなぁ。「ちゃんと出た！」（これはひょっとするかも…）「結局、アカンのかーい！」<br><br>４連勝で青葉賞を勝ち、ダービーの前日発売では１番人気になったペルーサ。名前の由来はもちろん、唯一無二のサッカー選手、「神の子」ディエゴ・マラドーナの愛称「ペルーサ（もじゃもじゃ頭）」である。最強の名馬に相応しい愛称である。</p>



<p class="wp-block-paragraph">出遅れ癖がなく先行できていれば、皐月賞にも出て（主戦の横山典の「中山は不向き」という助言と後ろからのレースとなる可能性から出走せず。）横綱相撲を取って勝ち、ダービーは青葉賞の結果からして勝っていたはず。（想定では皐月賞からダービー直行。）</p>



<p class="wp-block-paragraph">春の天皇賞3200mでは8着に敗れているが、0.9秒差しか負けておらず、菊花賞時点なら能力の違いで勝っていたはず。ちなみに、2010年の菊花賞を勝ったのはビッグウィーク。皐月賞馬ヴィクトワールピサ、ダービー馬エイシンフラッシュともに不在だったことからも、ペルーサの勝ちは揺るがない。</p>



<figure class="wp-block-embed is-type-video is-provider-youtube wp-block-embed-youtube wp-embed-aspect-16-9 wp-has-aspect-ratio"><div class="wp-block-embed__wrapper">
<iframe loading="lazy" title="【レース映像】東京11R 第17回テレビ東京杯青葉賞（GII）｜ペルーサ（横山典弘）｜ウイニング競馬" width="1200" height="675" src="https://www.youtube.com/embed/4M85idYlKDc?start=3&amp;feature=oembed" frameborder="0" allow="accelerometer; autoplay; clipboard-write; encrypted-media; gyroscope; picture-in-picture; web-share" referrerpolicy="strict-origin-when-cross-origin" allowfullscreen></iframe>
</div></figure>



<h2 class="wp-block-heading">幻の三冠馬になるには</h2>



<p class="wp-block-paragraph">もう一つ、ペルーサには幻の三冠馬になれる可能性があった。それは青葉賞を最後に引退していた場合だ。フジキセキも弥生賞で引退し、三冠レースには全く参加せずとも「幻の三冠馬」と言われることがあるから、ペルーサもそうなっていた可能性は高い。</p>



<p class="wp-block-paragraph">ただ、フジキセキもアグネスタキオンも種牡馬としても成功しており、それも同馬の素質の高さを示すものとして、幻の三冠馬の信憑性を高めている一つの要因ではあるが、ペルーサも三冠馬になってさえいれば、繁殖牝馬の質も上がり種牡馬として大成功していたに間違いない。</p>



<p class="wp-block-paragraph">青葉賞で驚異的勝利を収めたのち、天皇賞（秋）の2着、3着など惜しいレースはあるものの、二度の喘鳴症による手術などもあってか、ついにはオープンレースでも勝つどころか大敗をするようになり、勝てないまま引退という道も見えてきた。</p>



<p class="wp-block-paragraph">しかし、その潜在能力の高さや人気から「せめて最後に１勝の花道を」という声も多く（知らんけど）競争を続け、ついに札幌日経賞OPにおいて勝利する。その勝利は、5年3か月8日ぶりという、JRA史上最長勝利間隔の新記録だった。</p>



<p class="wp-block-paragraph">記録にも記憶にも残る「幻の三冠馬」ペルーサ。今でも私のなかでは最強馬である。</p>
]]></content:encoded>
					
		
		
			</item>
		<item>
		<title>意外性の男、ナカヤマフェスタ</title>
		<link>https://goshisyo.com/nakayama-festa/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[Diomed]]></dc:creator>
		<pubDate>Sat, 27 Dec 2025 01:29:14 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[名馬列伝]]></category>
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					<description><![CDATA[夢の凱旋門賞 競馬界の「レジェンド」武豊が大目標とし常々「勝ちたい」と言っている凱旋門賞。あのディープインパクトでも３着（後に失格）だったように、数々の日本最強馬たちが挑戦するものの、2025年9月現在いまだ日本馬が勝て [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[
<h2 class="wp-block-heading">夢の凱旋門賞</h2>



<p class="wp-block-paragraph">競馬界の「レジェンド」武豊が大目標とし常々「勝ちたい」と言っている凱旋門賞。あのディープインパクトでも３着（後に失格）だったように、数々の日本最強馬たちが挑戦するものの、2025年9月現在いまだ日本馬が勝てないでいるレースである。<br><br>今まで（2024年）の日本馬最高位はエルコンドルパサー（1999年）、ナカヤマフェスタ（2010年）、オルフェーブル（2012年、2013年）の２位であるが、その着差はエルコンドルパサーが半馬身、ナカヤマフェスタがアタマ差、オルフェーブルがクビ差（2012年）、5馬身（2013年）である。<br><br>よって、凱旋門賞優勝に最も近づいたのはナカヤマフェスタということになるが、日本競馬の史上最強馬を選ぶとき必ず名前の出るエルコンドルパサー、オルフェーブルを超えるナカヤマフェスタとは、いったいどういう馬だったのだろうか。</p>



<h2 class="wp-block-heading">ナカヤマフェスタと同期の馬たち</h2>



<p class="wp-block-paragraph">ナカヤマフェスタは「セレクトセール」で1,000万円で落札されたステイゴールドの産駒。近親に目立った産駒もおらず、母ディアウィンクは中央で20戦1勝という地味な血統で、ここまでの活躍をするとは誰にも思われていなかった。<br><br>デビュー戦の新馬戦は3番人気。妥当な評価であろうが、この新馬戦をあっさり勝利する。そして2戦目の東京スポーツ杯2歳Ｓで早くも重賞に挑戦する。単勝27.5倍の9番人気だったが、ここも勝利して一気にクラシックの有力候補となる。<br><br>しかし、年明けの京成杯で2着（1番人気）、セントライト記念で1着（2番人気）となるも、クラシック本番では皐月賞8着（1着アンライバルド）、ダービー4着（1着ロジユニヴァース）、菊花賞12着（1着スリーロールス）と苦戦することとなった。<br><br>なお、皐月賞馬のアンライバルドと菊花賞のスリーロールスは「伝説の新馬戦」と言われる新馬戦で一緒に出走している。その伝説の新馬戦の1着はアンライバルド、2着がリーチザクラウン、3着がブエナビスタ、4着スリーロールスという凄いメンバーだった。<br><br>そんな「伝説の新馬戦」の馬たちと同期になるナカヤマフェスタは、同期の中では地味なほうで、やはり同期の出世頭はG1を6勝（2着7回）し、牝馬ながら牡馬にひけをとらない大活躍をしたブエナビスタだろう。<br><br>なお、クラシックを勝った牡馬たちは、皐月賞馬アンライバルドは皐月賞後5連敗して引退、ダービー馬ロジユニヴァースもダービー後4連敗して引退、菊花賞馬のスリーロールスは次走の有馬記念で競争中止となる怪我でそのまま引退と、揃って活躍できなかった。</p>



<h2 class="wp-block-heading">初のG1勝利</h2>



<p class="wp-block-paragraph">ナカヤマフェスタも、菊花賞で12着のあと中日新聞杯で3番人気に推されるも13着と大敗。同期の牡馬たちと同じように活躍できないかと思わせた。しかし、休養を挟んだ翌年の初戦であるメトロポリタンＳで快勝。なお、この間（前年の暮れ）に馬主である和泉信子は病で亡くなり、馬主は実父の和泉信一が継いでいる。<br><br>次のレースは宝塚記念と決めた陣営はステップレースを使わずに直行することを決め、大敗した菊花賞、中日新聞杯の戦績から長距離輸送に難があると考え、1週前追い切り直後に栗東に入厩をすることとした。<br><br>宝塚記念には、ヴィクトリアＭを制したブエナビスタ、天皇賞（春）を勝ったジャガーメイル、重賞２連勝中のアーネストリーや、前年の宝塚記念覇者のドリームジャーニーなどの好メンバーが揃い、ナカヤマフェスタは単勝オッズ37.8倍の8番人気であった。<br><br>しかし、最後の直線、前で粘る1番人気のブエナビスタとアーネストリーを外からかわし、ナカヤマフェスタが先頭でゴール板を通過、初のG1勝利をものにし、レース後、凱旋門賞への挑戦を表明した。</p>



<figure class="wp-block-embed is-type-rich wp-embed-aspect-4-3 wp-has-aspect-ratio"><div class="wp-block-embed__wrapper">
<iframe loading="lazy" title="2010年 宝塚記念（GⅠ） | ナカヤマフェスタ | JRA公式" width="1200" height="900" src="https://www.youtube.com/embed/0B1tp8C4Trk?feature=oembed" frameborder="0" allow="accelerometer; autoplay; clipboard-write; encrypted-media; gyroscope; picture-in-picture; web-share" referrerpolicy="strict-origin-when-cross-origin" allowfullscreen></iframe>
</div></figure>



<h2 class="wp-block-heading">凱旋門賞</h2>



<p class="wp-block-paragraph">凱旋門賞への遠征には1億円弱の費用がかかり、それは宝塚記念の馬主取り分（賞金１億3,000万の80%）とほぼおなじ金額になるが、馬主の和泉信一は「まあいいや」と参戦を決めたという。<br><br>ファンも（私も）そうだったと思うが、凱旋門賞でエルコンドルパサーが2着になったのはもう10年も前のことで、以降もマンハッタンカフェ（2002年、13着）、ディープインパクト（2006年、3着、後に失格）、メイショウサムソン（2008年、10着）らが挑戦するも苦戦しており、ナカヤマフェスタに大きな期待はかけていなかった。<br><br>フロックではないにしても、宝塚記念の勝ちをもってしてもまだ信頼できる成績ではなく、意外性の男というか人気してきっちり勝つという強い馬のイメージは全く無かった。<br><br>しかし、前哨戦となるフォワ賞で2着すると、本番の凱旋門賞でも、直線で不利がありながらもクビ差の2着とし、エルコンドルパサー以来となる日本馬最高の2着という成績を残した。<br><br>例年、凱旋門賞は観ていた私も、恥ずかしながらこの年のナカヤマフェスタのレースは観ていない。それほど、期待が薄かったし、これは私に限ったことではないと思う。</p>



<h2 class="wp-block-heading">ナカヤマフェスタのその後</h2>



<p class="wp-block-paragraph">帰国後はジャパンカップに出走するも14着（2番人気。勝ち馬はローズキングダム）と大敗し、翌年はフォワ賞と凱旋門賞の2レースだけに出走するも4着、11着と精彩を欠いた。<br><br>2010年のメトロポリタンＳ（1着）、宝塚記念（1着）、フォワ賞（2着）、凱旋門賞（2着）という4走は、まさに超一流馬の軌跡である。この凱旋門賞2着後のワールド・サラブレッド・ランキングでは、世界6位とタイなる127ポンドを獲得しており、この時は世界的名馬だった。<br><br>凱旋門賞が行われるロンシャン競馬場に合う馬というのもいると思うし、ナカヤマフェスタのように期待薄でも好走できる馬もいると思う。なので、その時の最強馬だけでなく、色々な馬が参戦すれば日本馬初の凱旋門賞制覇に近づくのではないかと思っていた。<br><br>しかし、ナカヤマフェスタの後、2024年までにオルフェーブルを除く21頭が出走しているが、最高位はキズナ（2013年）とスルーセブンシーズ（2023年）の4着であり、うち14頭は2桁着順である。<br><br>やはり、そう簡単ではないようであるし、ナカヤマフェスタがいかにこの2010年は充実して強かったのかが分かる。その強さと意外性から、種牡馬として驚くような強い馬が出てこないかと期待するも、2013年産のガンコが日経賞、2017年産のバビットがラジオNIKKEI賞とセントライト記念を勝つに留まり、2023年に種牡馬を完全引退となった。</p>
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